両親から「アカデミーにもうすぐ入るんだぞ」と言われていた頃のことだ。シカクが母に言われた修行をほっぽり出し、のんびりと縁側で寝転んでいると
「シカクお兄ちゃん! 遊ぼう?」
濡れ縁の端から、丸い顔がひょっこりと飛び出てきた。期待のこもった目の下にある薄桃色の頬を、膨れあがらせているその女の子は、一軒挟んだ向こう側の家に住む、親戚だ。
「あぁ、いいぜ。昨日のまんまにしてある」
シカクは上体を起こすと、女の子の、柔らかい黒髪で覆われている頭をぽんぽんと柔らかく叩いた。実のところ、遊びたいわけではない。しかし、断ればどうなるかわかったものではないから、その女の子の誘いにのる他に自分には選択肢が与えられていないのだ。
「やったぁ」
と喜びの声をあげて、女の子はその場を駆け出して行く。鯉が水中を彷徨く池を越えた、その先。奈良一族の森との境界にある、立派な椎の木の根元が、ヨシノとシカクの遊び場だ。
木漏れ日を受ける御座は泥で薄汚れており、その上に転がっているのは布でできた人形や、底の空いた鍋に、柄の折れたおたま。
幼い彼女の言う『遊び』は大抵、ままごとだった。
女の子は恭しくサンダルを脱ぐと、御座の上のおたまを拾う。一度ここに上がると彼女は、帰るまでそこにいる。だから、サンダルを揃えて邪魔にならない、木の根元に置いてやるのが、シカクの大事な役目だ。自分よりもうんと小さいサンダルを、木の根元に立てかけていると、ざーっと砂がどこかに落とされる音がする。
「シカクお兄ちゃんは、お父さんね。私はお母さんをするから」
女の子は御座近くの地面から、細かく、さらさらとした砂を掬って鍋の中に流し込んでいた。今日の夕飯な何になるのか、それだけでは検討もつかない。
「はいはい。お父さんは、何すりゃいいんだ?」
シカクはサンダルを履いたまま女の子の傍らに座り込むと、自分の役割を尋ねた。その前はおじいちゃん、その前は飼い猫だっただろうか……。
女の子は、手にしたおたまを振って
「はいは、一回! にんむ! にんむに行ってきて! お父さんはにんむに行くものでしょう?」
今日は、忍をしているお父さんをやれという。
「わかったよ。じゃあ、ヨシノ。行ってくる」
二つ返事で了承すると、シカクはその場からゆっくりと動き出す。任務に行けと言われたのは、シカクにとって都合が良かった。このまま彼女の視界から出た後に、いのいちやチョウザと合流すればいい。それでも、いつもそこに、この女の子が入ってくるのは。
シカクは、ちらりと背後を振り返る。すると女の子がシカクの視線に気づき
「いってらっしゃい!」
満面の笑顔を浮かべて見送ってくれるからだ。シカクは後ろ手を振り「聞こえた」という合図を出すと、自分は森沿いに歩いていき、庭を出た。これから向かう先は、駄菓子屋だ。修行が休みの午後はそこに行けば、いのいちもチョウザも捕まえられる。仲間を引き連れて帰れば、遊び相手が増えて女の子は喜ぶ。
男三人に女一人のままごとは、女の子の天下だ。いのいちの優しい言葉掛けに照れた女の子の手からおたまはするりと抜け出して空を飛ぶと、人形を下敷きに座り込んでいるチョウザの頭に着地する。
笑い声の絶えない、ままごとだった。森が太陽に口をかけるぐらいに、シカクの母から「もうそろそろ帰らないと、怒られるわよ」と声がかかって終わる。その時はいつも決まって
「また明日、ね!」
「あぁ、また明日」
シカクは、ヨシノと短い小指を交わらせる。ままごとを終える頃には、女の子の丸い頬も、着せられていた着物もすっかり泥だらけ。爪先に詰まった砂で茶色くなった小指は、砂の中に入っている鉱石から細微な光をちらつかせていた。
また明日。
森伝いに家に帰って行く女の子の背を眺めながら、口の中で何度もシカクは、噛み砕く。
ヨシノは明日も必ずやってくる。その時、自分が何になるのか。シカクは、それを楽しみにしていたところがあった。