春を迎えた森は、騒がしくなる。
花が開いた木々たちは緑の森に彩りを与え、その木の上で親鳥がピーチクパーチクとくだらないお説教を小鳥にしている。花は木の実になるからいい。しかし親鳥の講釈は長いだけで、無駄だらけだ。
オレが「うるせぇなぁ」と鳥の説教に文句を言うと
「親っつーのはそういうもんだ」
角が抜けたばかりの頭を揺らして、オヤジが隣で笑った。母ちゃんから離れて一年経ち、次はオレが子どもを持つか持たないかという話をしていた時だった。
適当なことばかり言うオヤジや他の雄たちと気ままに生活するのは、口うるさい母ちゃんといる時よりも気楽だった。落ちてるドングリを食べ、適当なところでのんびり寝る。
オレたちみたいな、簡単に捕まえられない動物をわざわざ食べようという輩はいない。そういうヤツらは食べられる相手がいる、向かいの山に住んでいる……らしい。
「それでも、食べられる時は食べられちゃうんだからね」
そう教えてくれたのは、今でもたまに会う母ちゃんだった。オレが小さい頃はこの森での生き方を、親鳥のように口うるさく教えてくれたが今では
「しゃんとしなさい。尻の青い子どもに雌は振り向かないよ」
別の方向にうるさくなっている。
めんどうくさそうしていると、母ちゃんの向こうに見える父ちゃんが
「雌はそういうもんだ」
そんな顔をして呑気に欠伸をしていた。
この森でシカのいるところは限られている。だから同性同士の群れで固まっていても、異性の群れはすぐそこ。本当ならば、あまり親は干渉しないはずなのだが、そうも言ってられないのがこの森の事情だ。
母ちゃんはオレに「子どもが作れない雄には意味がないんだよ」「アンタのこといいなって思ってる若い雌がいるんだから頑張りなさい」と一通りの説教を食らわせると、鼻息を荒くしたままうたた寝をしているオヤジの隣に寝そべった。
隣に体温を感じてか父ちゃんは薄っすらと目を開くと
「母ちゃん、もういいのか?」
母ちゃんの頭の上に顔を乗せて、擦り付ける。
「お父さん、あなた何をシカマルに教えてるの」
「ウチの群れは自由主義なんだよ」
のんびりしたオヤジの物言いに母ちゃんはまた怒り心頭といったところだった。雌はいつも怒っている。
しかし、オヤジが毛を舐めてやると次第に、吊り上げた目元をやっと緩めていく。
オヤジが毛づくろいを終えると、今度は母ちゃんが。そしてそのまま、もたれ合いながらオヤジと母ちゃんはうたた寝を始めた。
散り散りになった他の仲間も似たようなもので、木陰で、柔らかい芝生の上で、みんな一時の休みを味わっていた。
オレはと言えば、寝る気にもなれず、かと言ってこのまま群れに残ってまた母ちゃんにとやかく言われるのも嫌で。そこからから離れることにした。
そのあたりをぐるっと一周してくれば、午後の昼寝の時間は終わる。頭は十分冷え切っているが、寝るにしても余計なことを考えてしまいそうなのが、嫌だった。
母ちゃんに十二分に怒られたところだと言うのに、歩を進めるたびに他の家庭の事情が耳に飛び込んでくる。
「ちゃんと飛べないと、こわい獣に食べられてしまうよ」
「美味しい虫がいるのは、この木だよ」
「いのちゃん、今日もかわいいよ! イノシシ界の女神だ!」
どこの家も母ちゃんはうるさい。生きていくのに必要な話なのか、個人の見解なのか、さっぱり見分けがつかない。後者であれば、切り捨てても良いものだと思っているから、なおさらうるさく感じる。
特に「秋のオヤジのようにしっかりしろ」と言うウチの母ちゃんには辟易としていた。母ちゃんは、オヤジの何を知っているのだろうか。
オヤジは、いつもダラけている。エサを食べる時以外は寝ているし、子どもであるオレには注意すらしない。次に何を食べるか、どこで寝るかを考えているだけだ。
しかし秋になると、雌の誰もが「来て欲しい」と思うほど強くて、逞しい雄に様変わりし、異様にモテる……らしい。だからシカクの子どもであるオレも「そうなるんじゃないか」と他の雄たちから言われたが、今のところ、雌なんてめんどうばかりで全く唆られない。
午後二番目の昼寝は出来たらいいなぁ。でもそのためには母ちゃんがいなくならねぇとなぁ。
そんなことをぼんやりと願いながらかたい地面を踏んづけていると
「きゅー!」
足元で突然、何かが鳴いた。蹄に、草ではない柔らかい肉感が伝わる。そっと視線を下に向ければ細長い何かが、足元で足をバタバタさせている。
何かを踏んづけた。けれど、この動物は一体何だ?
オレがうろたえていると、どこからかキッキっと高い声がした。
「離せ、その足をどけろ!」
するりと白い何かが這い寄り、柔らかいものを踏むオレの足に噛み付く。毛皮に突き立てられた小さな鋭い歯に驚き、
「いでっ!」
足を退けると白い何かは、オレが踏んづけたものを急いで拾ってすぐ傍の茂みに逃げ込む。
「何か言うことはないのか!」
怒気がはらんだ声は、オレに謝罪しろと命令する。どこの誰だか知らないが、その声からして、雌であることは確かなようだった。
「悪かったって! アンタ、誰だ?」
見たことのない動物に、誰かと尋ねてみるがその動物は
「お前になんて教えてやるもんか」
冷たくあしらうと、小さな足音を残してどんどん遠ざかっていく。
オレはもちろんその後を追いかけた。相手は素早い動物なのだろうが、オレにだって足には自信がある。
それがシカのオレと、イタチのテマリの、出会いだった。