森の中にある、苔むした切り株がテマリの住処だった。
中がどうなっているかなんてシカのオレにはわからないが、テマリの子どもたちは「住みやすい」と言っていた。ほくほくした地面と、薄暗い隙間はイタチの好むところらしい。
巣を持たないシカとは、大違いだ。
最初にテマリの大事な坊主を踏んでからというものの、テマリはずっとオレを嫌っていた。追いかけたのも、心象に悪かったようだった。
けれど詫びがわりに子どもの相手をするようになってから、多少は態度が柔らかくなってきていた。
自分が雌のイタチであること、春に生んだばかりの子どもを育てていること、子育てが大変なこと……。
それらをイタチのことも合わせて、少しずつ、オレに教えてくれた。
子どもがどうとか、雄が、雌がと頭を悩ませていたところだったから、別の種族とはいえ、子どもを持った雌と話ができるのは、木からりんごだ。イタチの雌のテマリは、シカの雌である母ちゃんとは違い、オレの話をちゃんと聞いてくれる。
だから群れから離れてテマリに会いに行くことが、少しずつ増えていった。周りの雄たちは「どうした、どうした」と野次馬をしてくるが、オヤジはそれを咎めたりしない。「大人なんだから好きにしろ」と勝手にさせてくれた。
「テマリ、おい、テマリ」
切り株に向かって声をかけてみるが、いつも通りテマリは出てこない。イタチは警戒心が強い。顔見知りのオレだとわかっていても、オレじゃないことを考えて、出て来ようとはしない。
それはめんどうなことであった。毎度毎度、実力行使に出るこちらの身にもなってほしい。
仕方なしに、いつも出てくる切り株の根にある穴の周りを、前足の蹄でガリガリと削れば
「やめろやめろ! 出るから、出るから、巣を壊すな!」
白い毛皮をまとったテマリが似たような顔をした五匹と一緒に頭を出す。
「わかってんなら出てくりゃいいだろ」
文句を言いながらオレが足を折って地面に座ると、オレを見て目をキラキラさせた子どもたちが
「待て待て待て! ちゃんと周りを見てから!」
テマリの制止も聞かずに駆け寄ってくる。体の大きなオレは、テマリよりもずっと小さな子どもたちにとって格好の遊び道具だ。
オレの体の上を行ったり来たり。背中で押し合いへし合いされるのは、もう慣れたことだった。
「母ちゃん、おーい! おーい!」
バカ面をした一匹の坊主が、オレの頭の上からテマリに向かって手を振る。この坊主が、あの時オレが踏んでしまったやつだ。
注意深い母親とは違って、緩いところがある、間抜けな坊主だ。
「危ないからそこから降りろ! あぁもう、シカマル。頻繁に来るなと言ってあったろ」
「前に来たのは二日前だろ? 毎日来てるわけじゃないし、いいだろ」
「良くない。今から狩りに行くところだったのに」
テマリはため息をつくと「適当なところで返してくれ」と房が四つついた頭を苔の間に滑り込ませて、巣穴の中に戻って行く。最近はそうだった。オレに子どもたちのことを任せて、自分は巣に戻るということがよく、あった。子どもに会いに来ているのもあるが、テマリにも会いに来ているオレとしては少々面白くない。
「よし、お前ら。今日は穴掘り合戦だ。好きなところに穴を掘れ」
「いいの? 母ちゃんはダメって言うぞ」
「巣穴じゃない別んとこなら大丈夫だろ。この辺の地面とか」
オレがそう言うと、子どもどもは甲高い声を上げて、喜びながら小さな足で地面を磨く。どの道、大した穴はまだ掘れない。
キッ、キッと歯切れの良い声をあげながら騒ぐ子どもたちは体を地面に擦り付けて、大喜びだ。普段テマリから「絶対にするな」と言われているのだろう。毛皮を白から茶色に変わるのも気にせずに、のたうち回る。
そのうちにテマリが痺れを切らして
「あーもー! 匂いをつけるな! 他のやつにここがバレたらどうするんだ!」
巣穴から飛び出して来ると、子どもたちを止める。
「この辺りにアンタらの敵になるやついねーだろ」
「ガキのうちは、鳥も危ないんだ! もう、ほら、支度しな。こんなやつは置いて狩りに行くよ。最初に遊ばせるのが間違いだった」
テマリはぶちぶちと言いながら、一番、間抜けなやつの首を咥えるとついて来いと子どもどもに命令する。
「バイバイ、シカマル」
「またな、シカマル」
口々にオレへお別れの言葉を言うと、子どもどもは短い手足を一生懸命動かしてテマリの後を追う。
姿を消した先で何をしているのかは、さすがにテマリも教えてくれなかったがなんとなく、わかっていた。
することがないなら群れに帰ってもいい。だけど、どうせなら……。
オレは欠伸を一つすると、その場で目を瞑った。