コマンドの続きです。
読んでないと、ちょっとわかりにくいです。
布団の中に逃げ込むと、安心する間もなく、耳の中で心臓が跳ねる音がした。ドッドッドッと重く、早く、動く。体の強ばりがとれない。本気で怒った母ちゃんと面と向かっている時のような、緊張感が体を支配している。
それもこれも、見てはいけない物を見てしまったからだ。いや、実際は『見た』わけではない。父ちゃんと母ちゃんが、一緒に、風呂に入っているところを、そこでの会話を、『聞いた』だけだ。たったそれだけ。場所はどうであれ、普通の会話をしていただけだ。にも関わらず、オレにはとてつもなく恥ずかしいことのように思えた。
風呂のタイルが跳ね返していた、声と、水音。
それらを思い出すと、心臓の音が緩まった。じわっと涌き出てきたむかむかとした感じがそうさせた。それを何と呼ぶのか、オレは知っている。
めんどくせーことになった。
オレは慌てて、枕元に転がっていたゲームを手に取ると、もう一度電源スイッチを入れる。そして、ゲームの中のシカダイはフィールドを駆け出した。これ以上のレベル上げは、もう少し後にしようと思っていた。が、とにかく意識をあの音から逸らしたかった。
シカダイを洞窟の中に入れると、入り口をたむろさせる。ここのモンスターは、弱い割に経験値とドロップするアイテムがうまい。出現率の低いレアモンスターに出会えれば、モンスター十匹分の経験値だって貰える。レアモンスターにあまり期待はしていないが、効率が良い。
ゲームに集中するために、目標のレベルまでの経験値の残りと一回のバトルで貰える経験値を頭の中で割る。端数は切り上げての計算は、仲間内では誰よりも早い。だから、あと何回敵とエンカウントすればレベルが上がるかの逆算なんてすぐに終わってしまう。それでも無心でひたすらカチカチとボタンを操作しなければならない。他に気を紛らわせるものを、他には知らないからだ。
しばらくプレイを続けていると、レアモンスターと二回連続エンカウントした。合計二十匹分の経験値。それに高値のレアアイテム。頭の中の計算式には嬉しい誤算だ。予定がずいぶんと、早まる。元々、レアモンスターとは会えない体で計算を進めていたからだ。
上機嫌でゲームを進めようとしたが、自室の横にある階段に人の気配を感じて、指を止めた。モンスターとバトルに入ったが、それどころではない。静まったはずの鼓動が、また大きくなった。
重い足音は、ギィギィと階段を踏み鳴らすように上がってくると、オレの部屋の前を素通りし、向かいの両親の寝室に消えた。それから少しして、その後を追うように軽い足音が辿っていく。
布団の中で、オレは身構えていた。父ちゃんは、オレがまた起きていることに勘づいている。床板を鳴らしたのは、わざとだ。その音には、
「ゲームはほどほどにな」
という母ちゃんから父ちゃんを経由して届いたお達しと、父ちゃんからの脅しに近い言葉も含んでいる。
「子どもはさっさと寝ろ」
それができたらこんな苦労はしていない。こっちだってもう寝たいのは山々だ。だけど、寝かせてくれない原因は二人だ。
バクバクとうるさい鼓動を誤摩化すために、布団の中で深呼吸をしてみる。しかし、一向に落ち着きを取り戻さない。掛け布団から顔を出し、新鮮な空気でやってみたけれど同じことだった。それでも、すーはーとしつこく繰り返していると、やっと落ち着いてくる。
このまま寝てしまうのが得策だ。
シカダイ、にげる。
バトル途中だったゲームにそう、コマンドを入力すると現実のオレも布団を被り直して逃げた。
*****
浅い眠りから目を覚めさせたのは、のどの乾きだった。風呂に入り損ねて外着のままだったから、寝苦しかったのもあるのだろう。シャツが寝汗を吸ってすっかり、重たくなっている、
風呂は明日でも構わないが、喉は今潤したい。
掛け布団を蹴飛ばしてベッドから降りると、静かに自室のドアノブを回した。そしてこっそり廊下に出ると、向かいから微かに両親の話し声が聞こえてきた。もうすぐ明け方になるというのに、まだ起きてることにも驚いたが、それよりも中から聞こえた音に、オレは硬直した。
ギッとベッドのスプリングを軋ませる音。その音は、徐々にテンポを上げていく。そして激しくなったと思えば、突然、ゆっくりになった。しかし、その軋む音は止もうとしない。
両親の寝室のドアの向こうで、何が起こっているのか、さすがのオレにもわかる。
水を飲みに行くか行かまいか。そんなことよりも明日の朝、どういった顔で会えばいいのかさっぱり、わからなかった。