※自分向けに発行したコピー本の再録です。
シカテマの幼少期~新奈良家までを、ごはんの視点でお話にしただけです。
米が少しに対して大量の水が入った小さな鍋をコンロに置くと、つまみをひねった。ボッと音をたてて火がつくから最初は強火で。そして、底からボコボコと泡が吹き出すようになってきたら、蓋を少しズラして弱火に。
「よし、これでしばらく放っておけば……」
「おーい、テマリ! シカダイが呼んでんぞ!」
「すぐ行く!」
点火したばかりの鍋を放って、私は今に駆け込むとシカマルに抱かれてふぎゃあふぎゃあと、めんどうくさそうに泣くシカダイを受け取った。
私が体を揺らしつつ
「どちた〜? お腹すいたか? それとも、父ちゃんの髭がこわったか?」
話しかけてやるとすぐに落ち着くのだが、私が赤ちゃん言葉を使うとシカマルが目の前でぷくっと頬を膨らませる。だが、そんなシカマルも同じだ。
「シカダイ、最近おちごと忙しくわりぃな」
おちごと。その言葉に私が頬を膨らますと、今度はシカマルがむっとする。
「いやいや、お前も私も似合わんなって思っただけだ」
「仕方ねーだろ」
気づいたら使ってしまうのだ。シカダイの首が座り、一人で座われるようになった、今でも。そんな言葉、私とシカマルが使うとは思っていなかったし、すぐ抜けるものだと思っていたが案外、抜けきらずに使ってしまう。いのあたりが聞けば、笑うんじゃないだろうか。
機嫌を取り戻したシカダイを敷布団の上にうつぶせで戻すと、ぴくりとも動こうとしはしない。けれど、自分がどこにいるかわかると手と足を使って上手に四つん這いになる。そして、おむつで膨らんだおしりを振り始める。
「……本人は進んでる気なのか? これ」
「多分。最近ずっとこうだけどな。だけどきっかけがあれば、ずりばいしだすだろう」
ぷりっ、ぷりっと一生懸命おしりを振っている姿は、かわいいのだがどこかおもしろくも感じる。自分がもう歩けるからかもしれないが、少しのもどかしさも。
「修行なんだろなァ。ハイハイするために筋肉を作るための。そっから、歩かなきゃなんーし」
「どうだろうな」
ひこひこと肩も動かし前に進もうとするシカダイを見る、シカマルの目元は柔らかい。私はこいつが、こんな顔をするなんて知らなかった。
シカダイが産まれてから、私たちの生活の中心にはシカダイがいる。料理を作っていても、二人で話をしていても、シカダイが泣けば私たちは、その泣き声の元へ早く行かなければならない。例え私が夢の中にいたとしても、だ。
シカダイは自分のことができない。だから、その声が何を欲しているのかを聞き取ってシカダイの世話をすることは、私たちの大事な任務だ。
「後ちょっとじゃねーか?」
シカダイは震える腕を少しずつ前へズラしていく。しかし、一歩を踏み出すのに、どれだけ時間がかかるのだろうか。
「肘を曲げて前に出すだけな気がするんだけどよォ、シカダイにはそれが難しいのか」
「仕方ない。わからないことに気づくのは難しいじゃないか」
ふんっと鼻を鳴らしてシカダイは上体を揺する。そして、勢い良く前のめりになると、そのまま転けてしまった。じっとして動かないシカダイ。泣いてしまったのかと思って、シカダイを抱き上げようとしたその瞬間、シカマルが
「大丈夫だ」
私を止める。シカダイは固まったまま、うつ伏せになってあたが両手をつくと肘だけで上体を起こし、何事もなかったかのように体を振る。しかし、今度は少しばかり様子が違う。最初から大きく、ゆっさゆっさとシカダイは揺れ始めた。
「ひょっとして?」
「ひょっとするかもな。シカダイ、後ちょっとだ」
「肘だ。肘を使うんだ」
「バカ、シカダイにわかるか!」
私がそう言った、その時だった。シカダイは片肘を少しだけ前に進ませる。それからもう一方も同様にすると、ゆっくりとだが自分から敷布団の外へ向かっていく。
「ついにきたな」
シカマルは感慨深そうだ。でもそれは私も一緒。
「ベビーサークル、付けなきゃな」
シカダは敷布団の外に出ると、畳の上を這って、進んでいく。時々、止まって何かをじっと見つめては、また少し。私たちから離れていく。
「居間と寝室か、いるのは」
「そうだな」
手を伸ばせばまだ、シカダイは届く距離にいる。けれど、そのうち私たちの知らないところに自分から行くことになるだろう。でも、今はまだ私たちが見ていないといけないから。
「シカダイ、今日はそこでストップだ」
シカマルが、シカダイを上から捕まえて、また布団の上に戻そうとするが、とシカダイは空でも小さな手足を必死に動かす。
「後でベビーサークル頼む。それより、そろそろ出来上がってると思うから」
私は立ち上げあがると、シカマルにシカダイを任せて台所に戻った。
コンロにずっと放って置かれていた鍋は、ぐらぐらと蓋を揺らしている。ちょうど良いところだった。
コンロの火を消すと、そのまま蒸らしておく。その間に、先の丸い小さなスプーンと小皿の準備を。
今日はシカダイが初めてずりばいした日だけじゃない。ミルク以外を、口にする日。
歯固めにやたらと噛みつくようになったと思ったら、小指の先ほどもない歯が見え隠れしていたから、いつから食べさせようかと考えていたのだが、動き出しそうなシカダイを放っておくわけにもいかなかったから、シカマルが休みの日にしよう、と前々から計画をしていた日だった。
蓋をとって中身を軽くかき混ぜると、とろりとした液体が出来上がる。私はそれをおたまで小皿に移すと、小皿の中で出来上がったばかりの重湯をぐるぐるとかきまぜた。そうしてるうちに、人肌ぐらいまで温度が下がったがどうか、手の甲にのせて確認すると、すぐに二人が待つ居間に戻っていった。
寝かせておいたらずりばいしたがるのか、シカダイはシカマルのあぐらの上にちょんと座ってあやしてもらっている。私が帰ってきたことに気づくと
「ほら、シカダイ。メシだ。食えるか?」
声をかけてやるが、シカダイには私がいるということ以外わからないのか、大きな目をこちらに向けるだけだ。
「こっちも頑張ってみような」
私はシカダイの前に座ると、小皿の中の重湯を少しだけ掬って、シカダイの唇にスプーンを当てた。しかし、シカダイは口をあけようともしない。
「最初は唇に塗ってやればいいんじゃないか?」
「いや、食べれると思う。」
スプーンの先端をシカダイの口にいれてやり、重湯を少しだけ流すとシカダイはごくんと喉を揺らす。
「飲んだぞ」
「そうか」
これからシカダイはぐんぐん大きくなっていくだろう。ひょっとしたら、私たちの手を離れるのも想像しているよりも早いかもしれない。だけど大きくなっても、ずっと思ってる。いつだって、シカダイには腹いっぱいになるまで美味しいものを食べさせてやりたい。
もう一杯、重湯を飲ませてやるが、シカダイは仏頂面だ。でも、口元が美味いものを食べている時に頬を緩めているこの表情は、誰に似たのやら。
「うまいか? シカダイ」
シカマルそっくりな顔をしているシカダイに言ってやると、シカダイは微かに首を縦に振ったように見えた。