※自分向けに発行したコピー本の再録です。
シカテマの幼少期~新奈良家までを、ごはんの視点でお話にしただけです。
こたつを出したのは良かった。
いくら外が寒くても、家にぬくぬくとした居心地の良い場所があるのは、心がほっと落ち着く。籠の中に積み上げられたみかんを食べながらゴロゴロできたら、なおさら。
しかし、中に入れない上半身はどうしても寒い。半纏を羽織って足元から与えられる温かさを逃さないようにするのはいいが、多少、動きにくくはある。かと言って、ヒーターをつけに行くのもめんどうくさい。寒さを感じるぐらいなら、オレは動きにくくてもこっちをとる。どうせ、すぐ寝てしまうのだから。
テマリが体調を崩してから、数ヶ月。最初にテマリの様子を見てなんとなく紅先生のことを思い出し、それで察したのだが、やはり腹の中に子ができたようだ。
紅先生の時からそれほど経っていないはずだから、それほど変わりはないと思っていたが、色々と進歩があるらしいと知ったのはテマリが買ってきた雑誌からである。表紙から本文まで丸っこい文字で可愛らしく書こうとしているのだが、内容はこれが結構、なかなか。
人間は一つの細胞からここまでこうやって育つのか、と全く見当違いのところを考えて落ち着きはしたが、オレの体の中で起こっていることではないから、やはりわかりにくい。
一人しかいない、こたつの中で、贅沢に足を伸ばして脛を焼きつつ『新米パパさんへ!』と大きく書かれているページを読んでみているが、既知のものから情報量が増えたかどうかは怪しい。
母親がしなければならないことは多い。産む前からマッサージだ、運動だ、栄養への気配りが、どうたら。反面、父親は結局、母親と子供に何をすべきなのかはまとめきれていない印象を受ける。各家族の状況によって違うだろうからと言っても、根元でまとめてしまえば、母親のサポートといったところか。でもそれでは、わざわざページを割いて特集を組んでいる意味がないんじゃないだろうか?
手裏剣型に皮が開かれたみかんから最後の一粒を取り上げると筋を丁寧に剥いで、口の中に放り込む。口の中に筋が残るのは、後がめんどうくさい。噛むと、果汁が飛び出し、甘さが広がる。
「わけわかんねぇ」
残ったみかんの皮を、筋をまとめていたティッシュで包んでゴミ箱の方へと投げ入れると雑誌を閉じた。
なんとかなるとは思わない。相応の知識を身につけて接するべきだとは思うが、その知識は雑誌にはまとめられていない。雑誌が各家族の状況に合せて、というのであればそれはそっくりそのまま、各夫婦でなんとかしろということでもあるような気がした。『新米』がつく限り、その家族には二人しかいない。いや正確に言えば、三人目はそこにいる。しかし腹の中の子に意見を聞こうなんて思っても、答えてくれるわけでもない。ならば、その母親……と自分自身がどう向き合うのか、といった問題になるのだろうか。
母親のサポートを、と言われてもどの程度サポートできるものなのか。何をサポートしてほしいのか。多少、何か家事をできるようになっていた方がいいのか。
そういった答えを明示的に記してほしい。そのために雑誌を読んでいるのに。
オレは不完全燃焼なのを自覚しながら次のみかんに手を伸ばすと
「シカマル、それ何個目だ?」
オレと同じような半纏を着たテマリが盆に何かを乗せて持ってきた。薄い白煙が湧き上がっているから、何か温かいものなのだろう。
テマリは、オレの向かい側に正座するとこたつ布団を持ち上げて足を中に入れようとする。その前に、オレが慌てて足を畳むと
「膝だけ入れば十分だ。すぐに寝るし」
そう言って、盆に載せていたぐい呑みを本のそばに置いてくれた。
「また読んでるのか? 飽きないなぁ、新米パパくんは。ま、これでも飲んで温まれ」
ぐい呑みを覗き込むと、中にはどろっとした白い液体が入っていた。ぶつぶつとした何かが浮いているそれに、検討はあった。年末年始によくみかける、甘酒。そろそろ春が近づいてきているというのに、なんで今さらこれを?
そう思いつつも鼻が違う匂いをかぎ取れば甘酒だけではなく、別の匂いも香ってくる。これは。
「生姜?」
ぐい呑みを持ち上げて、すんすんと鼻を動かすとつんとした刺激がふわりと舞い上がってくる。
テマリは目を見開くと
「刺激物はあまりよくないと思って、ほんの少ししか入れてないのに、よく気づいたな」
驚いたように言う。
「母ちゃんがよく作ってたからな」
ぐい呑みを傾けてごくりと喉を鳴らすと、甘酒独特の柔らかい甘さが広がっていく。
「じゃあこれは知ってるか? この甘酒に使ってる米麹はな、この前食べた味噌のおかゆの味噌蔵で米麹なんだ」
同じようにテマリもぐい呑みから甘酒を飲もうとするから
「おいおい、アルコール入ってるんじゃねーのか?」
やめさせようとした。そんなの、オレの手元の雑誌ではよく言ってることだ。それをテマリが見過ごすとは思えない。しかし、テマリはオレに向かって「待った」と手の平を見せる。
「心配するな。これにはアルコールは入ってない」
そう言ってぐびりと甘酒を飲み、おっさんのようにぶはーっと息を吐いた。そんな飲み物ではないはずなのだが、どうして男臭くなってしまうのか。
「昼から八時間ぐらい煮込んでたのが、やっとさっき完成したばかりなんだ。これで次からは一人で作れる。それがうれしいんだ」
ぐい呑みを両手握りしめて、頬を緩ませる。
うれしい?何が?母ちゃんから料理を教えてもらえるのがか?それとも、一人で作れるようになったことが?
けれど、この寒い時期に台所に籠ることに対して、なかなか「そうか」とは言ってやれない。
「でもアンタ、腹ん中に子どもがいんだからあんまり、冷えるところにいるなよ。鍋ぐらいオレが代わりに見といたのに」
「まさか。お前、料理できないじゃないか。それに、ちょこちょこ甘酒を味見に飲んでたから、体はわりと温かいよ」
ほら、と突き出された手に、指を絡めれば確かに先端まで血液が開ききっている感じはする。爪の形をなぞると、テマリはにこにこしながら「どうだ」と言わんばかりに自慢げにする。
「あんま無茶すんなよ。母ちゃんにも言っとくからな」
指に沿って手を滑らせ、股に着地させるとぐっと握ってみたりするとテマリは軽く指を折り曲げる。
「わかってるさ。でも、あんまり家に居ても、仕方ないから料理をしてるだけだ」
お前の胃の中にも入るしな、とテマリは笑い
「それに、立つのがダメだって言うなら、漬物に移行するだけだぞ? そろそろ大根の桜漬けも教えてもらう約束もしてるんだ」
さっぱりした浅漬けを作るのに入れる昆布はどこのがいいか聞いたし、糠漬けもぬか床をわけて貰うことなったからと、漬物について楽しそうに語る。名前を言われて初めて気づいたのだが、そんなに漬物って種類が多かったか?それと一体、どれだけレパートリーを増やす気なんだ?
「漬物ねぇ。嫌いじゃないけどよォ。そういえば、桜と大根って、あの桜の花が入ってる、すっぱい大根の漬物か?」
「そう。梅酢がないからどうしようかと言ってたら、おかあさんがそれも分けてくださる、と。桜の花を甘酒にいれると見た目が綺麗だし、味もまた少し変わるからオススメ!……だそうだ」
だから、とテマリは続ける。
「また今度、甘酒を飲もう。桜を浮かべたやつ。桜見できるなら、その時に作ってもオツかもしれないな」
あぁでもそれってどうなんだ?
ささやかなことに悩むテマリを眺めながら
「ま、うまけりゃなんでもいいよな」
オレは頷いた。