※自分向けに発行したコピー本の再録です。
シカテマの幼少期~新奈良家までを、ごはんの視点でお話にしただけです。
布団の中から見上げる天井は私にまだ、他人のフリをしている。この天井は私に木目が、いくつあるか教えてくれないし、別の顔に見えてくるほど見慣れたわけでもない。
そんなことを考えてしまうのは、湿った布団の中から今日は一歩も踏み出していないからだろうか。
木の葉にある古くから続く奈良の家に嫁いで半年。冬の中でも一番冷え込んだ日から二、三日してからのことだった。
早朝、私は自分の体を包む綿布団をどかせることができなかった。布団は持ち上げることができたけれど、体は起き上がらず、頭がぼーっとしていて何も考えられない。
シカマルの弁当と朝食だけでも作ってから、また寝た方が良いだろうということは見当がついていた。こんな状態で、洗濯も掃除の今日はできるわけがない。おそらく、気疲れからくる熱が出ているだけだ。
奈良の家には、昔から執り行われている行事が多かった。森の保全のため神に供物を用意するとか、鹿の世話の仕方など多岐に渡るそれらを、こなすこと自体は容易だったのだが未だに親族が大勢いる。という状況に慣れることができなかった。
せいぜい多くても私の家族は五人だ。母さんに、弟たち、夜叉丸にオヤジ。それだけた。母さんにもオヤジにも親戚はいなかったから、他に身内はいなかった。だから、複写したような顔が目の前に並び
「テマリさん」
と私を呼ぶことを体に馴染ませるのに、半年はまだ期間として短すぎたようだった。
並んでいる顔の中でも眉が細いのか、鼻に特徴があるのか、どこが違うか、シカマルから見たときにどの立場になる人なのか。それらを覚えることの方がずっと、難しいものであった。戸惑う私にシカマルも彼らも
「ゆっくりでいいから」
と言ってくれたが、人の名を間違い続けることに対して抵抗は拭い切れない。家の前で頻繁ですれ違う女性の名前も必死になって覚えようとした結果が、これだ。
寝返りを打ちたくても、体が上手く動かない。どれだけ訓練を積んだとしても、慣れないことへの適応には何だって時間がかかる上に、負担になるのだ。でも、少しの休憩があれば十分。私はまだ、頑張れる。
だけど、休めば休むほどどこかにしわ寄せも行く。そのしわ寄せは、今日の弁当。中身が適当になってしまうかもしれない。そんな弁当を持たせてしまうシカマルには申し訳ないが、あと少しだけ寝かせてもらおう。
布団の中で、もぞもぞとしていると
「どうした?」
ごそりと隣の布団が持ち上がる。
「テマリ、調子悪いのか?」
「いや、そんなことない。ただもうちょっと寝ようかどうか考えてただけだ」
じっと、シカマルは私の方を見る。品定めするような、シカマルの視線から逃げたくて布団の中に急いで隠れ込んだのに
「……体調悪りぃんだろ? 最近、顔色良くなかったからな。今日はもうおとなしく寝とけ。昼はなんか適当に食うから気にすんな」
何かを見抜いたように言う。そして、ぽんぽんと掛け布団の上から私の体を叩くと、朝支度を始めていった。
シカマルは衣を擦れさせる音を少しさせた後、寝室を出て行く。大きな音はさせなかったから、布団はそのまま残していったのだろう。
寝とけ。
そんなことを言われたのはいつぶりだろう。怪我をして帰ってきたカンクロウに言ってやったのは覚えているが、自分が寝込むことなんてなかったから、初めて、言われたかもしれない。
でも、寝るってどうやるんだ?
改めて言われるとどうやって寝ていたのか、わからない。目を瞑って横たわっているだけで、寝ていられるものだったかそれとも、何か特別なことをしていただろうか。
そう思うほど、今の私には寝るという行為が難しかった。
このまま眠れなかったら、どうしよう。
そんな不安に苛まれていた。こんなこと普段なら微塵も思わないだろうに、病は気からという言葉通り、少し弱気になってしまっているのかもしれない。気丈に振る舞えていた、私の中の砂のテマリだった部分はどこへいってしまったのか。
体の芯に冷えを感じて、思わずシカマルが触れた場所をぎゅっと握る。いくらか気は休まったがそれでも、夜にやってくるほどの眠気を捕まえられない。
「テマリ、まだ起きてるか?」
シカマルの小さな声が聞こえる。
「どうした?」
布団から顔を出すと、見たことがない、小さな土鍋がのったお盆を持ったシカマルが、寝室の出入り口に立っていた。そして私の顔を見て、ぎょっとすると急いで駆け寄ってくる。
「なんでアンタ、泣いてんだ?」
「泣いてる? そんなわけあるか」
「じゃあ、これなんだよ」
シカマルは眉間に皺を寄せて私の頬を指で掠めると、私に濡れた指先を見せつける。それは間違いなく汗の量ではない。
「これ食ったらマジでもう寝ろよ。帰ってきたらまた、話聞くからよ」
シカマルは、膝の上にのせていた土鍋の蓋をあけ、むわりと鍋から蒸気を噴出させると赤みがかかった黄身のおかゆを出してきた。
「なんだコレ?」
「さぁ? 名前までは知らねぇわ。寝込んだ時にウチの母ちゃんがよく作ってくれたやつ。おかゆに味噌が入ってるだけだ」
麹が発酵した、独特な香りがする。だが、それはウチで使ってる味噌の匂いではない。
「あ、喰えそうなら梅干しも食えよ。酸味を感じると、食欲出るらしいから。メシ食って、寝て、それでもダメだったら、明日病院行くぞ」
鍋の脇に添えられた小皿の上の、真っ赤な大粒の梅干しは見たことがある。おかあさんが「毎年漬けてるのよ」と言っていたものだ。
「……おかあさんにお礼しないとな」
ずっと実家暮らしで、台所に立つことがなかったシカマルにこんなものが作れるはずがない。お茶を淹れるぐらいしか、台所に行く用事も作らない。
「食えねーなら、無理すんなよ」
「いや、作っていただいたものだから」
上体を起こしてシカマルからおかゆがのったお盆を受け取る、と足の上にのせる。そして、スプーンでおかゆをすくい上げるとまた、湯気が舞う。
熱々に作ってくださっているだろうから、と何度か息を吹きかけて冷ましてからおかゆに口付けると、どろりとしたあったかいものが体の中に入ってくる。冷えた芯が一瞬、温かみを取り戻したがすぐに消えていく。
スプーンは次から次へとおかゆを掬う。私が気づいていないだけで、きちんとおなかは空いていたようだ。食べることに苦はない。しかし、まだ漠然とした不安は拭いきれていない。
味噌の味に飽きがきたから箸で梅干しを崩し、柔らかい果肉を食むと、目になるほどの酸味が舌を刺していく。
はちみつで漬けたという梅干しもうまかったが、この酸っぱすぎる梅干しもこれはこれで、うまい。
おかゆを啜り、たまに梅干しを挟んでやれば、鍋の中はすっかり空になってしまった。
シカマルはそれを見て、眉間の皺をなくしてしまうと
「食えるみてーでよかった。鍋はオレから返しとく。頼むから、寝といてくれよ」
私の足にのっていたお盆を退けて、寝るように言う。
「そうするよ」
体を横たわらせて、掛け布団を被ると、とろりした眠気が全身を、おかゆがくれたぬくもりと一緒に回っていた。そして、沼に足を踏み入れた時と同じようにずぶずぶと足元から私の体を侵食する。
「おやすみ」
静かで落ち着いた、シカマルの声も一緒になって回って溶けていく。この声が最後にたどり着く先はどこなんだろうか。