シカマルは、シカクの言うところの『神様たちが住むトコ』を出ると、テマリが待つ家に帰るまでシカダイを抱いたまま、枝の間を飛び続けた。
疲れているシカダイを連れてこのまま帰りを遅らせるのが嫌だったのもあるが、何よりも絡み合って解けない感情の糸をどうにかしたかった。空を切る風が冷たいおかげでいくらか冷静にはなれたが、それでも、解けない部分はどうしても一人では解けそうになかった。
無事に庭に下り立つと、縁側の向こう側の居間にテマリとヨシノがいる。シカマルとシカダイが無事に帰ってきたのを見て、テマリはつっかけを引っかけて庭まで出迎えてくれた。
「おかえり、シカダイ寝ちゃったか?」
「ただいま、いや、まだ起きてる」
縁側にシカダイを座らせて、茶色になった靴と靴下を脱がせると
「かーちゃ、かーちゃ」
シカダイがテマリを呼ぶ。その声に引かれるように
「シカダイ、おかえり」
テマリが抱きしめてやると、肩越しに安心したようなシカダイの顔が浮かぶ。そして、
「汗いっぱいかいただろ? お風呂はいろうな」
とそのままテマリに抱かれて、家の奥へと連れて行かれてしまった。それを見送った後に近くにあった桶にシカダイの靴と、シカマルが履いていたサンダルを沈めていると、ヨシノが
「終わったの?」
問いかけてくる。
「あぁ。無事に」
それだけ返して、居間にあがった。座卓の上には生家に並んでいたアルバムや、写真が広げられていた。
最近撮ったシカダイの寝顔に、まだテマリがこちらに使者としてやってきていたころに隠し撮りしたであろうシカマルと縁側で将棋を指している姿、それにまだ生家が新しいころに門前で頬を染めているシカクとヨシノが並んでいる写真。
よくこんなに残してたな。
呆然と見ていたが、テマリは今日は何やら家事をたくさんすると言っていたはずだ。それなのになぜヨシノはここにいるのだろうか。
「そーいえば、母ちゃん何しに来たんだ?」
「傘を貰うついでに、テマリちゃんと昔話。お父さんがひどいってね。私があげた手紙、全部捨てちゃったって言うのよ。あの人」
「確かにそりゃひでーな」
とりあえず、シカマルはヨシノの言うことに肯定しておいた。
シカマルは確かにシカクが言い残したとおり、物置に置いてあった汚れていた木箱は捨てた。けれど、中に入っていた数々の手紙は実はまだシカマルが持っている。この家の、シカマルの書斎にある本棚の一番上にしまい込んだクッキー缶の中に。
それらをいつ母に見せるものかと考えていたが、どうやらそれは今ではないらしい。父がにやけて読むような手紙が、まだ残っていることを知った母が写真の父にどんな声をかけるか簡単に想像がついたからだ。そして、あの世でそれを聞かされる父も。
「っつーか母ちゃん、なんでこんなの持ってんだよ」
テマリと将棋を指している一枚をひらつかせて、話をそらす。が、ヨシノも視線をそらす。
「たまたま、よ。たまたま。ほら、確かこの時に新しいカメラ買ったじゃない?それで何か撮りたくて」
そうやってテマリに対してもその誤魔化したのだろうか?
渋い顔したシカマルがヨシノに問い詰めようとしていると、トトトと廊下を走る軽い音が聞こえてきた。水浴びをして、着替えも済ませたシカダイが障子に体を隠して、居間の中をのぞいていた。
「あら、シカダイ。さっぱりしたのね」
ヨシノも隠し撮りの件から無理やり、シカダイに話をうつす。そして、おいで、おいでと呼べばシカダイは机に近寄ってくるが、机に捕まってその上に散らばっている写真を凝視していた。
「シカダイも一緒にお写真見る?」
ヨシノが聞けば、
「じーちゃ」
シカダイは一枚の写真を指差して、確かにじいちゃんと呼んだ。写真にうつっているのは猪鹿蝶の飲み会で、いのいちとチョウザに挟まってへべれけになっているシカクだ。
「あらシカダイ、おじいちゃんがわかるの?」
写真もちゃんと見せたことがないのにわかるのか、と驚く母に
「まぁ、色々あったんだよ」
シカマルは、ぽつりぽつりと『神様の住むトコ』であった出来事を話し始めた。
森のこと、そこにシカクがいたこと、それにいくらか話をしたこと。
「オヤジのやつ、シカダイに『じいちゃん』って呼ばれて、だらしねー顔してたよ」
「やっぱりね。お父さんにちゃんと言ってくれた? ほっとくとアンタが産まれたときみたいに、バカ晒して回るわよ」
私が死んだとき、恥ずかしいじゃない。
ヨシノは茶をすすると、ダンッと机の上に湯呑みを置いた。
その向かい側で、テマリがアルバムを捲くっているとシカダイが、ページが変わるたびに「じーちゃ、じーちゃ」と写真のシカクを指差す。
「しかし、すごいお方だなぁ。こんなに早く覚えてもらえるなんて」
「遊んでもらったからじゃねーかな」
いないいないばあ。
オヤジが生きてたら、このアルバムにあの一シーンは入っていたのだろうか?
シカマルは、まだ余白のたっぷり残ったアルバムを見て、そう思っているとシカダイのポケットの膨らみに気づいたテマリが「なんだ?」と言う。
「あぁ、それ」
シカダイが拾ってアンタにやるって言ってた栗だよ、と言おうとしたのだがそれより先にテマリがポケットの中のものを抜き出してしまう。
「できたての……甘栗……?なんでこんなものが?」
神様たちの住むところ。オヤジの話を統合すると、欲しいものが手に入る場所でもあるところ。
「……とりあえず、食っちまっても問題ねーと思う」
どうやら息子は、木から落ちてる栗がそのまま甘栗になって食えると思ったらしい。
「ふぅん?」
疑問に思いつつもテマリが栗の皮にパキッと爪を立てる音がした。