奈良一族には、伝え聞かされてきた大事な仕事がある。
鹿たちの住む場所の巡回パトロール、ケガをした鹿の看病、死亡した鹿の処理および死亡原因の特定、鹿苑の運営、鹿の角切りで得た角の研究……。
そして、これらを仕切るのが当主の役目だ。
どれも先代の当主である父のそばで、長年見てきた仕事であるから、当主を受け継いだシカマルには難なくそれらをこなせた。しかし、そのシカマルでも未だに知らない、当主だけが行わなければならない仕事があった。
シカマルがそれを知ったのは、シカダイを授かって、しばらく経ってから、だった。
シカダイが自分の足でしっかりと一人歩きできるようになってすぐに、母のヨシノが「お祝いに」と夕食に招いてくれた。「家族で」と言いつけるられていたから、シカマルは、妻であるテマリと子のシカダイを伴って生家に帰り、ヨシノが作ってくれた、お祝い料理に、テマリと舌鼓をうった。それから、食後の茶をすすっている時に、ヨシノは
「大事なしきたりがあってね……」
と静かに話し始めた。
次に奈良の名前を継ぐ者、つまりは一族の森の守り人の長を、森の神々に紹介する。
ヨシノの話したことをまとめると、おおよそ、そういったことになる。
シカマル自身、神などという理解不能の存在がいるとは思ってはいない。しかし、『しきたり』と決まっていることであるのならば話は別である。
「わかった」
返事をすると、次にヨシノは机上に、丁寧に四つ折りにされたメモをのせた。
「私もしきたりの詳細は知らないから、これを読んで。お父さんが残したメモ。本当は、当主から次期当主……まぁ、父親から息子に、ね。口で伝えないといけないんだけど……」
もういないから。
母は、はっきりと、まっすぐな声で言い切った。
父がいなくなってしまって、まだ両手で数えられるほどの年数しか経っていない。だからだろうか。母は未だに写真の中でだらしなく笑っている父に話しかける。
自分たちの息子が上忍に昇進したこと、砂から嫁が来て今度から娘が増えること、父にも似ている目にいれても痛くない孫が産まれたこと、孫が一人歩きができるようになったこと。
ぜんぶ、母は一つ一つのことを丁寧に紙面の父に話しかけていた。母が楽しそうに話すことに、父が何も返してこないのは、普段通りと言ってもいい。いつも父は適当に相槌を打っていたから。けれど、生きている人間が、写真に、と考えると、その光景を見ている時に湧き出てくる感情を息子としてどう処理して良いのか、今でもわからなかった。
机の上に置かれたメモを、指先で自分の方へと手繰り寄せると、シカマルは中を開いた。シカマルが書くそれよりも角ばった字が上から下までみっちりと並んでおり、ヨシノが言っていた『しきたり』のことを事細かに教えてくれる。
シカクが言うところの『神様の住む場所』はどこにあるのか、その場所には行くだけで良いということ。それから、このメモを書いている自分のように、いつ当主が変わってしまうかわからないから早めに行った方が良いこと。
それらを一通り読み終えた後に、シカマルは隣のテマリをちらりと見ると、膝の上にのっているシカダイ見た。持ってきた離乳食が足りなかったのか、眠いのか、机の角に必死にしゃぶりついて頭の房を揺らしている。
世の中のことがまだ何もよくわからない息子を、もう次期当主に?
シカクからシカマルに、その座が受け継がれたのを考えると、順当にはそうなる。
シカダイが生まれる前に「子どもは何人もうけるか」といった家族計画なるものをテマリと話し合った時。今後多忙を極めるであろうシカマルが、産まれてくる子どものために割いてやれる時間と、テマリ自身が考えている母親としてのキャパシティを話し合った結果、子どもは一人と決めていた。だから、今のところ、二人の間にはシカダイ一人しか「奈良」の名前を継ぐ可能性があるものはいないし、将来的にも考えていない。つまりは、シカマルが次期当主に指名できるのはシカダイしかいない、ということでもある。
シカダイを机から引き剥がし、歯固めに使っている木の輪を与えているテマリに
「シカダイを連れて行く」
次期当主をシカダイにする、と宣言すると
「そうか」
たったそれだけを返された。シカダイに集中していたからそっけない返事だったわけではない。聞き分けが良いというよりも、こういった話に慣れている、のだ。
「じゃあ、そういうことだ。母ちゃん」
「その方がいいわね」
無事に話がまとまったからか、ヨシノがふぅと息を吐き出す。そして
「お茶のおかわり、いる?」
と尋ねてくれたのだが、歯固めを口にいれながらテマリにもたれかかっているシカダイの目はもう眠そうだ。
「シカダイが寝そうだから、帰るわ。テマリ、重ぇだろう。オレが抱っこするぜ」
シカマルはテマリからシカダイを受け取ると、ぐらぐらと揺れる小さな頭を肩にのせてやった。