翌朝、シカダイが一緒に登校するために、いのじんやチョウチョウと待ち合わせている場所に行くと、いのじんがいつもよりも沈んだ表情を浮かべていた。
「聞いてよ……。昨日、うちの母さんがいい歳して『たわわチャレンジ』してたんだよ……」
開口一番に今、一番聞きたくない単語を聞かされてシカダイは顔をしかめる。
『たわわチャレンジ』とやらが流行っているのは、深夜番組で特集される前からインターネットを通じて知っていた。
品を感じないその行為を、シカダイは名前と画像で多少は知っているぐらいだった。出てくる画像に出てくるような発育の良い女友達がいるわけでもないし、興味もわかなかったから、その程度に留めておいたのだが。まさか、あんなことになるなんて。
シカダイが鼻に寄せた皺に気づかぬまま、いのじんは言葉を続ける。
「いや、別にいいんだよ。母さんが何をしようが。何が流行ろうが。問題は父さんが『今のブラジャーの技術に感謝しなよ』なんて言い出して……」
いつもの、夫婦喧嘩か。
いのじんが抱えている問題は、シカダイが見た光景よりは幾分かマシなようだったがそれでも、気を使いがちないのじんの胃に与えられたダメージとしては十分だったらしい。
いのじんは、腹巻の上から腹をさすっている。
そこに、隣で朝から呑気にガルビーをむさぼっているチョウチョウがフォローするように
「ウチもしたけどォ?ちょーオモシロイかったや!パパが一番たわわってんの!てかさ、別にいーじゃん。『たわわチャレンジ』流行ってるんだしさー。」
と言うが、それでもいのじんはグチグチと「流行ってても父さんが」「母さんもやめときゃいいのに」と言っている。
アカデミーに着いてもまだ続いていそうな、いのじんの長い愚痴を止めるには。
「ウチもやってた」
「「えっ」」
シカダイが、思い切って告げるといのじんとチョウチョウの二人が目を見開いて、シカダイを見る。
当然の反応のように思えた。
いのじんのところのように母が父に甘えている姿をよく見るわけでもないし、チョウチョウのところのように仲良くでかけているといったところをまったく見せないシカダイの両親が『たわわチャレンジ』なる品のない行動を起こすとは、誰も予想できないことだからだ。
しかし、それは二人の息子であるシカダイにとっても、同じだ。
「しかも、母ちゃんがやってるとこを、父ちゃんが撮ってた。すっげー嬉しそうに。動画の画面っぽいの開いてたから、動画なんじゃねーかなァ……」
いつもははっきりと物事を断言するシカダイが、珍しくうやむやなことを口にしたのには理由があった。
シカダイが二人の姿を見かけたのは、ちょうど父が母の着ている浴衣を直しているところからだった。
布団を頭まで被ってゲームをしている途中に喉に渇きを覚えて、降りた階段下から台所をのぞけば暖簾越しに父と母の姿が見えた。しかし、どうやら普通の状況ではないらしい。
滅多に怒ることがない父が、母の胸ぐらを掴んでいた。
シカダイは最初そう認識したのだが、シカマルがスマートフォンを取り出して画面越しにテマリを見始めてから、それは違うということに気づいたが、それでもシカダイは目をギョッとさせた。
父が母を撮影することがまず珍しい……どころか父が何かを撮るという行為自体がほとんどない。だから、父のスマートフォンの背中についているカメラのレンズのようなものはそういうアクセサリーなのかもしれない、と母と話したことがあるほど。
そんな父が、母にレンズを向けている。動画モードで。
シカダイが階段下から見つめていた光景がありえないものばかりだった。
出された茶を飲み、自室に帰ったあとに布団の飛び込んでから、今見たことは夢だったのかとシカダイは自分に問うたが、母が出してくれた茶の温かさが指先までぽかぽかと広がっていた。
「あの父ちゃんが」
写真でも十分、シカダイにとってはドン引きに値するものだった。写真を撮るのは一向にかまわないが、母のはしたない姿を喜々として動画を撮影したとなると……。
不快感が我慢できず、思わず幼馴染の前でこぼす。
「動画撮ってたのはさすがになァ……」
「……シカダイのパパの見る目変わりそー」
「……ボクも」
幼馴染と全く同じ意見だった。
まさか、父にそんな趣味があったのかと驚きもあったが、不快感が勝る。
「母ちゃんに告げ口しとくかァ……。後で喧嘩されてもめんどくせーし……」
現物を見たわけではないが、父の素っ気のないスマートフォンの中にはデータが保存してあるだろう。
それを母が自発的に見つける前に、止めなければならない。
父が吹き飛ばされるのはいいが、家がなくなってしまうのは困る。
シカダイは、はぁと深くため息をつくとアカデミーへの道を、あるき始めた。