シカマルやテマリが泊まっている宿は同じだ。ただ、そこは観光向けの宿ではない。ロビーの内装もあっさりとしており、待ち合わせるためのソファーとローテーブルが一組あるだけで、土産物屋なんてものはない。必要最低限で固めらている質素だが、作りはしっかりしている宿だ。
連合会議を行うにあたって、中立国として監査に当たってくれているミフネが、遠方からわざわざやって来る忍の旅費の負担も考えて、用意してくれたものだが、この宿には若い忍が泊まる、年頃の男も女も泊まっている。
「男女別にしようか迷ったが信用しているし、話し足りなくなったらいつでも話せるように」
というミフネからの配慮だった。
里を代表して、とおそらくはそれぞれの影に耳にタコができるほど言われてここに送られているわけだから、不必要な男女の部屋の往来といった疑わしきことなんて起こすわけにもいかない。
だから、シカマルは未だにテマリの部屋に入ったことはない。それはテマリも同じで、わざわざプライベートな空間である場所に呼んでまで、話をしたりはしなかった。話すとしたら、忍服のまま、ロビーで。
いくら仲良くなっても、不可侵の領域をお互い作っていた。
だから、
「じゃあ、オレは29号室だから」
「今月は、男が偶数で女が奇数か。私は38号室だ。こっちに来るでよかったか?」
「あぁ」
この奇妙な会話に、シカマルは違和感を覚えていた。表面上では冷静を取り繕っているが、内心ではこれからのことを考えるとそれなりに緊張はする。
しかし、テマリの方はそうでもないようだった。いつの間にか勝手に引いていた線は、それほど重要ではなかったようだ。
階段を上がり、シカマルはテマリと分かれて廊下の奥の方にある、『29』と札のかかった簡素なドアの前に立つと、ベストの中にしまい込んでいた鍵を取り出して、鍵穴にはめる。カチッと音がなるまで回し、朝に出たきりになっていた部屋の中に入ると、床の上に広げられた荷物や、ところどころで山になっている資料の山は自室の光景とあまり変わりはない。
今までのことが全部、嘘だったんじゃないか?
ふとそんなことを思ったが、部屋に入ってすぐに現実だったと突きつけてきたのは、足下に落ちていた三通の手紙のせいだった。それらを生地の薄いカーペットの上から拾い上げて、宛名を見れば昼に出したばかりの手紙に返信だ。
シカマルははやる気持ちを抑えながら、後ろ手でドアを閉じて、鍵も内側からきっちりかけると、その手紙を開封しながら、寝崩されたままのベットの淵に腰掛けた。
六代目火影の印が押された手紙には公的に婚約を祝う文言が綴られており、五代目風影からも同様の手紙が届いていたが、挟み込まれたメモの一枚に、ただ一言「大事な姉さんをよろしく頼む」と直筆で書かれていた。
つまり、シカマルとテマリの婚約が公然の事実になったということだ。しかし、シカマルにとって問題は、ヨシノからきた手紙だった。
奈良一族の紋が箔押しされている重い封筒から、これまた同様に紋が入れられている付箋を取り出すと一枚一枚に、短時間で、よくここまで書けたものだと逆に感心するほどびっちりと文字が書かれていた。
封筒にも便箋にも紋が入っているということは、当主の婚約を奈良一族として承認したということになう。それはシカマルにとって喜ばしかったが、便箋にこれほどまでの文字を書き込まれるとは思っていなかった。
おそらく、家に帰っても同じことを言われるだろう。
それを覚悟で一字ずつ読み込んでいく。
そこには、奈良一族の当主として、それにヨシノ個人が願う夫として、婚約から結婚まで求められることが書かれていた。ヨシノ個人の願いを脇に置いて読んでいても、
こんなにあったっけ?
と思うほど一族の掟で、婚姻に関することは細かく決められているようだった。こんなものは家に帰って口で説明しても良いことだ。けれど、わざわざ文字にしたということは?
嫁に来ると言っている女を試している、と言ってもおかしくないだろう。しかし、そこには期待も篭っていることが十分に伺えた。
それらを伝えるのは、シカマルの役目だ。
ヨシノはそうやって牽制した上で最後には「婚約おめでとう」という文字で締めくくっている。
よかった。
シカマルは、胸の奥に暖かみを感じた。ゆっくりのその熱はシカマルの体全体に広がっていき、持っていた厚みのある便箋すら軽く感じさせた。
ヨシノから送られてきた手紙をベットの上に放り投げると、ベストを脱いで部屋に備え付けられているユニットバスに向かう。大浴場に行ってもよかったが、さっさと風呂にはいって、テマリのところへ行きたい気持ちが勝った。
シカマルは衣服を脱いでバスタブの中に入ると、コックを捻って頭上から温かい水道水を降らせる。
考えていることは一つだ。
ヨシノの手紙に出てきた『婚前交渉』の意味を、見てみぬフリするかどうか。