テマリにとって、木の葉に来て十何回目かの夏がきた。
現役時代に外交で木の葉へよく来ていたとはいえ、嫁ぐとなると勝手が違い、根付いている文化や慣習になじむのにやはり、それなりに時間がかかった。輪廻祭とは何たるか、年末から年明けにかけての行事(砂にもあったにはあったが木の葉のそれとは丸っきり時期も行為も異なっていた)の準備。それから奈良一族で行わなければならない、森の木の保護の方法や、当主の妻がやらねばならない、一族に回す書類の作成。
嫁いだ当初は右も左もわからず義母であるヨシノに丹念に教えを請うていた、あの日々が懐かしいほど、今となっては心の余裕をもって、それらの行事を楽しむことができるようになっていた。
だから買い物帰りに、近所の掲示板で見つけた納涼祭のチラシを久方ぶりに見た時、心が踊った。「あぁ、今年も夏が来た」と思えるぐらい木の葉い慣れてきていたからだ。夏祭りへの参加の仕方だけは現役の時も、嫁いだ今も変わりない。少し変わったと言えば、嫁いでから着ている浴衣をヨシノと手作りしたもの、ということぐらいだろうか。
じっとチラシを読み込んでいると、湯の国からくるという飴細工の屋台や、火影邸の前に設置されるステージでの和楽器でのコンサートなどが今から楽しみになってくる。しかし、何よりも濃紺の空に打ち上がる色とりどりの花火が一番テマリの気をひいた。花火ばかりは、砂も木の葉も変わらないからだ。
砂では夏祭りなどしない。そもそも砂で言う祭とは、だいたいが荘厳な儀式のことを指して言うのであり、こんなに楽しそうな雰囲気を醸しだしていない。緊迫した雰囲気の中で行われる雨乞いの儀式などは胸がつまりそうになる。しかし、唯一心落ち着くのが、儀式の終盤に打ち上がる花火だった。無事に儀式が終わったことをを里中に知らせるための花火だと知っていたのもあったが、何よりそれが美しいものだったからだ。
砂の夜は暗い。真っ黒のキャンバスに星があますところなく散りばめられていてそこに、色を添えるように打ち上がる花火は何よりも美しさを主張していた。
弟たちと見るのを密かに楽しみにしていたテマリにとって、空にうつる花は故郷の思い出に触れるのに十分であった。もちろん儀式の終わりだから会話もなく、花火を見るだけであったが、横を向けば弟たちも口元を緩めて空を見上げている。それが儀式が何事もなく終わった安心感から来るものなのか、美しさからなのかは聞いたことはない。しかし、一時だけでも、心を休めて、家族と並んでられる。それが、テマリにとって何よりの贅沢だった。
今年は誰と見るんだろうな。
きっと嫌がるシカダイをヨシノと引っ張って行く事になるのだろう。もしくは行きたくないばかりに、一計を案じた息子のせいで家で涼んでいるだけになるかもしれない。しかし、
それでもいい。
息子と花火の音を聞きながら、のんびりと縁側で過ごすのも悪くないと思えるのは、人生の大半をジジィ臭いシカマルと連れ添った影響だろうか。たまにはあの時の、儀式に参加しなかった里の住人のように音だけを聞くのも、粋かもしれない。
手から下げていたエコバックが指に食い込み、痛みを感じたところでやっと買い物帰りだったことを思い出す。今日は、シカダイの好物である刺身を買ったのだ。早く家に帰って冷やさなければいけない。
テマリが掲示板から離れて、急いで家に向かって歩き始めると突然「テマリさん!」と男が名前を呼ぶ声がした。見知らぬ若い男の声だった。はて何かしただろうか、と呼ばれて方に振り返ってみれば、そこには荷物を抱えた三人の男がいた。
テマリがこちらを見たと知った男たちは口々に話を始める。
「オレと夏祭りに行ってもらえませんか!」
「いいえ!オレと一緒に生きませんか!」
「オレと過ごせば楽しいですよ!」
などなど。どうやら、祭の誘いのようだが……。、男たちの容姿は若いころであっても決して「行こう」とは言えないものだった。それにあいにく、テマリには生涯を約束した夫と、目にいれても痛くない息子がいる身。
「夫がいる身だし今年は家族で、と約束しているんだ」
とあしらう。また足を進めようとすると、先ほどの男たちが前に回り込み、
「当日、十分……五分だけでもオレのために時間をください」
とまで言う。テマリは目を白黒させた。そこまで言うか、と。何がそこまで彼らを動かしているのか。どう返したら良いものなのかさっぱりわからない。
目の前の男たちには夫も息子いることなんて承知した上、という解釈であっているのだろうか。
「いやいや……。すまない」
男たちを腕で押し避けて進むと、頭上から降り立った男が風呂敷を差し出してくる。
「行けなくても、せめてこの反物で浴衣を……!美しいテマリさんのために、奮発したんで!」
「簪は翡翠の簪にしました!あなたの髪に映えるかなと思ったので!」
「根付はべっ甲です!素晴らしい女性には素晴らしいものを捧げたいです!」
一般的には高級と言われているそれらを男たちは、公衆の面前で押し付けてくる。テマリはため息をついて
「夫から、知らない人から物を貰うなと言われているもので」
夫という部分を強調してそう男たちに伝えると、手で持っていた袋の輪に腕に通し、さっと印を組むと瞬身の術で家まで飛ぶ。
そうだ。そういえば、昨年もこんな感じだった……。すっかり忘れてしまっていた。
家の引き戸を開けながら苦笑いをすると、若いころにずっと隣でしかめっ面をしていた青年の顔を思い出した。