イタチの子どもは、シカの子どものようにずっと傍にいるわけではないらしい。
ある日、忽然とテマリの子どもたちは全員、姿を消した。
「みんな、親離れしたんだ」
一匹になったテマリは、切り株の上でぴんと背筋をたてながらそう教えてくれた。自分の身を守る以外に用事はないのに、敵がいないかどうか、見るだなんてなんだかバカらしいことのようにも思える。
「寂しいか?」
「まさか。みんな上手くやるさ。私の子どもだからな」
テマリは自慢気にそう言うと、切り株から下りて前足で顔を擦った。
一番手のかかったバカ坊主は、兄弟たちと喧嘩をするうちに強く逞しい雄になっていったように感じていた。それでもまだ父親には敵わないから、ナワバリが被るここを出ていったらしい。そしてこの森のどこかで、雄として雌を囲うのだと言う。
ぐしぐしと顔を擦り続けるテマリに
「水飲みに行くけど、アンタも行くか?」
そう声をかけた。
毛づくろいにしては長すぎる。半年とは言え、テマリが丹精込めて育てた子たちだ。いつかくる別れもわかっていただろうが、それでも思うところはあるのだろう。
ただの雌のイタチに、雄のシカが言ってやれるのは水を飲みに行こうと誘うことぐらいだ。
「行く。腹も減ったし」
育児の終わった雌は、すんなりと異種の雄の提案に乗った。
肉食動物がうようよいる山から湧き出た水は、森の共有財産だ。溜まった水は池になり、何本もの小さな支流を作って、森全体に水を運んでくれる。
どこからでも水が飲めるのは便利だなぁといった具合にオレは思っていたのだが、テマリからすれば小川も立派な狩りの場所だった。
オレが水を飲んでる横で、静かに水の中に入って行くとしばらく姿を見ることはない。イタチは水の中でも狩りをする。
今日はいつ出てくるかなぁとぼんやり水面を眺めていると、川底からテマリが浮上してきた。
「シカマル、見ろ! でっかいザリガニだ!」
水面を割って出て来たテマリは、嬉しそうに自分の体の半分もあるザリガニを抱えている、
赤い衣に包まれたザリガニは、テマリに食われまいと必死にテマリに攻撃を繰り返すがそんなもの、テマリには何の意味もない。
そのまま地面に叩きつけられ、テマリ曰く「うまい」腹を見せてしまうとそれで決着はついている。テマリはザリガニに牙をたてると殻も気にせずに、噛み砕く。
草や木の実が主食のオレから見れば、そんなのが本当に美味いのか疑わしい。けれどテマリはそのザリガニを、なんとも美味そうに平らげて行く。
子どもたちがいたころは、子どものたちにも分け与えていたが、今は一人で食べるだけ。満足にいく食事をとるのは、いつぶりなのだろうか。
テマリを見ているうちにオレも腹が空いてくる。
テマリがザリガニにご執心なうちにその場を離れると、近くの落ち葉の中を鼻先で漁り茶色い木の実がたくさんついた枝を探した。そして、それをわざわざテマリの近くに運び、テマリの食事風景を眺めながらボリボリと噛み砕いていく。
ドングリは、いつだってどこででも食べられる、便利な食べものだ。
「なぁそれ、お前まだ食うか?」
テマリは木の実を匂いながら聞く。
「食いたきゃ食えよ」
「やった!」
両手で木の実を一粒抱き上げると、テマリはカリカリカリと音を立てて食べて行く。
「ザリガニも食って、木の実も食って、アンタ大変だな」
「そうか? 両方ともすごくうまいぞ。それよりお前、そんなに大きいのに草とか木の実しか食べないんだな」
「肉なんて食えるわけねーだろ。想像するだけで吐き気がする」
ドングリを飲み込んだはいいものの、じきに、口の中に戻ってくる。何度も何度も飲み込んで、やっと食事が終わるのはシカだから起こることらしい。
「お前も美味そうに見える」
「やめろよ、オレなんて食ってもうまくねーぞ」
「冗談だよ。私一人でお前を全部食べ切るなんて無理。腐った肉は美味しくないしな」
食べれるなら食べるのかよ。
口の中でドングリを転がしていると、テマリは木の実をまた一粒、自分の方へと寄せた。