我愛羅とカンクロウが、木の葉の忍びたちに恭しく火影邸の中に誘い込まれていく後ろ姿を、シカダイはテマリと見守った。我愛羅と木の葉の忍が話していることに、シカダイは何の違和感も感じなかったのだが、カンクロウの表情が先ほどテマリやシカダイと話していた時と全く違うものになっていることに、驚きを感じる。
シカダイがカンクロウと会うのは決まって、奈良の家の中。つまり、プライベードの時の豊かな表情しか見ることがなかったから、任務中のいたって真剣な顔など今まで見たことがなかった。
「すげぇな。おじちゃんたち」
オンオフの切り替えがとは言わずに、シカダイがそうこぼすと
「シカダイの前ではおじちゃんだが、風影と護衛に変わりはないからな。ずっとやっているし」
わかりきった答えをテマリは返す。
風影と護衛。この短時間でも、よく聞いた言葉だ。シカダイにはおじちゃんたちの別名か何か程度の認識しかなかったが、周りの人にその別名せいで特別扱いをされているところを見て初めて、おじちゃんと気軽に呼んでいる人たちが担っている役職の意味を、シカダイは理解した気がした。
ぽーっと二人の背中を見ているシカダイの隣に立っているテマリが、懐の中から薄い板を取り出すと画面を見つめる。
「今は……十三時か。さて、今からまた忙しいんだ。シカダイ、手伝ってくれるか?」
「えぇ?!めんどくせー!!」
シカダイが抵抗を示すと、テマリはジロッとシカダイを見下ろす。
父ちゃんなら「お前……オレにそっくりだな」の一言で終わんのになぁ。
シカダイは脳裏に、唇を突き出しながら自分に愚痴るシカマルの顔を思い出してから
「わかったよ……。母ちゃん……」
観念した風に返事をすると、ころりとテマリが表情が笑顔に変わるのを見た。
*****
あっちい。
シカダイは首の後ろが日に焼けるのを感じていたが、それよりも目の前にある熱を放つ七輪が問題なのだ。網の上には我愛羅の好物である砂肝の串刺しが乗せられており、テマリの注文通りに、炭火でじわじわと焼き上げている最中だった。
テマリの言った手伝いとは、このめんどくせーことだった。あとで火影邸に戻る時、各家族が弁当を持ち寄らねばないらしく、その弁当の詰めるおかず作りを手伝え、と。
めんどくせー。
冷えた自室で、カンクロウに教えてもらったばかりのゲームのギミックを解きたかったのだが、そうは簡単に物事はシカダイの理想通りには進まない。
七輪に風を送るためのうちわで首元に風を送ると、いくらかマシにはなるが、砂肝を見つめるのが嫌になってきていた。
なんで我愛羅のおじちゃん、こんなのが好きなんだ?
さっき返したばかりの砂肝を少しでも遠ざかるためにシカダイは地面から立ち上がると、かがんでこもってしまった熱を逃がすように、豪快にうちわで自分自身を仰ぎ始めた。
ドッと汗が流れてくるのを気持ち悪いと思いながら、休憩のために冷たい縁側に座り込むと、台所からハンバーグが焼ける肉の匂いや、揚げ物の匂い、香ばしい味噌が匂いが漂ってくる。
母ちゃん、何作ってるんだろう。味噌を炒めてるってことは、鯖味噌じゃないだろうな。チョウジのおじちゃんとチョウチョウがいるから、砂肝みたいに大量に作らないといけないだろうしさ。
暇つぶしに、ぼんやりと今日のメニューを予想してみたりしたのだが、正解に確信が持てたのは砂肝の串焼きとハンバーグだけだ。
まぁ、後でわかるからいいか。
シカダイは、縁側から立ち上がってもう一度七輪の前に座り込むと、ジュウジュウと音をたてて焼き上がっている砂肝を確認した。香ばしい匂いが、空いた小腹を刺激してくる。
「母ちゃんー!!砂肝焼けた!!これでいーのか?!」
シカダイが台所に向かって叫ぶと、
「今行く!!」
台所からテマリの叫び声が帰ってくる。すぐにトタトタと居間を横切って縁側に現れたテマリは、その前の上にある石にのっていたつっかけを足にひっかけてシカダイの元へと小走りで寄ってくると、シカダイと同じように座り込んで網の上の砂肝しげしげと見定める。
最初は多少のミスがあったが、慣れてしまえばなんともないもので、シカダイは焼き上げた砂肝に自信はあった。しかし、
もうオレ、砂肝焼きたくねーぞ!もう五十三本は焼いてるし!
というのが本音だった。シカダイはテマリの細かい目の動きにも注視しながら、判断を待っていると突然テマリは体を起こして
「上手に焼けてるじゃないか。シカダイ、お疲れ。これで終わりだよ。後は詰めるだけだ」
砂肝の焼き加減を褒める。それから続けて
「さ、その汗を流しといで。湯は炊いてないから、シャワーだけになるけど」
シカダイに水浴びをしてきるように指示を出す。シカダイにとっては、着ていたTシャツが張り付くほど汗をかいていたから、願ったり叶ったりといったところだ。しかし、まだ後片付けが残っているはずだ。
「母ちゃん、七輪は?」
トングで器用に網を持ち上げたテマリに言うと
「残り火があるし、このまま冷まそう。夜に片付けるから、そのまま置いておいて構わないよ」
つまり、めんどくせーことはなくなったわけだ。
「ウィース。じゃあ、オレ風呂入ってくる」
シカダイは踏石に履いていたサンダルを脱ぎ捨てると、家の中に上がりこんで風呂場へと走っていく。早く着ているものを脱ぎ捨てて、シャワーで汗を洗い流したかったのだが、途中にある食卓の上にオレはここに居るぞと言わんばかりの立派な重箱が嫌でも目につく。
マジでどんだけ作ったんだよ。母ちゃん。
シカダイは重箱を見て辟易とすると、まっすぐに台所を横切って脱衣所に飛び込む。そして、着ていたものをすっかり脱ぎ去ってしまうと風呂場に入り、シャワーのコックをひねった。
*****
気づかないうちに用意されていた松葉色の甚兵衛を身につけて、シカダイがすっきりした面持ちで居間に戻ると、テマリが座卓の上に置いた鏡を中心に、普段使っている化粧品や、くし、色々な簪を広げている最中だった。その中に、今朝届いたばかろであろう見慣れない美容品も交じっている。
「シカダイ、上がってきたか。髪、結んでやろうか?」
嫌な予感がして即座に
「いーよ、自分で結べる」
とシカダイが返答すると、そうかとテマリは残念そうに言う。そして
「じゃあ、母ちゃんも風呂に入ってくる」
とシカダイに告げると風呂場へと消えていった。
腕につけていた髪ひもでシカダイはまだ濡れている髪を手ぐしでまとめあげると、居間の畳に寝転んで、傾いた日差しの中で揺れている庭から立ち上っている白煙を眺めた。
部屋の中に入ってくる風の心地良さにウトウトしながら、ゲームどうすっかなぁ、いつできっかなぁとどうでもいいことをぼおっと考えているうちに、洗面所からテマリがドライヤーを使う音が聞こえてきた。
シカダイが畳の上の冷たいところを求めて何度か寝返りを打っていると、自然とうねりを見せる髪の毛に何かを塗りこみながら、居間にテマリが戻ってくるのが見えた。
松葉色の浴衣ではなく、寝巻きにしているいつもの藍色の浴衣で。
あれ?あの浴衣は?ばあちゃんがプレゼントした帯は?
シカダイが疑問に思っているのも知らず、テマリは前髪を適当にピンで止めると小さな紙箱の中からコットンを取り出して、今日貰ったばかりであろう瓶を取り上げた。
「母ちゃん、何それ?」
「貰い物だ。保湿グッズだと」
テマリは、指を覆っているコットンに瓶の中身を染み込ませると、自分の顔にそれを叩き込む。
ああ、あのシーとかいう人から貰ったやつか。
シカダイは朝のことを思い出すと、畳に顔を伏せて苦々しい顔をする。気づけば、テマリに『おめでとう』を言わないまま夕方を迎えそうになっていることに気づいたからだ。タイミングを逃しに逃し、言うなら今しかない、と頭ではわかっているのだが、立派ともいえない自分のプレゼントを今、贈る気にはなれなかった。
「ふぅん」
それだけ返事をすると、ぎゅうと目をつむってどうせなら寝てしまおうと思った。出るまで寝て、逃げてしまおうと。しかし、テマリが別の瓶をいじっている音やパンパンと肌に何かを叩きつける音を聞いていると、逆に目が冴えてきる。
オレはばあちゃんの話を聞くのがイヤだったから、早く起きたんだよな?でも、結局渡せてねーし、意味ねぇよな。てか、母ちゃんにまだ「おめでとう」も言えてねーし。そればっかりはなぁ。
結局のところ、言うしかないとはわかっているのだが、うまいこと踏ん切りがつかない。じたばたと心の中でもがきながら、くくれる腹を探す。
このまま気持ち悪りぃのもめんどくせーし、まぁ、今しかねーか。
とやっと腹をくくって、自室にブーケを取りに戻ろうとした瞬間、玄関から
「ただいま」
疲れが滲んでいるシカマルの声が聞こえた。
「おかえり。早かったな」
すぐにテマリが玄関の方を見ながら、返事をする。しかし、シカダイは頭にまたもや疑問符が飛ぶ。
なんで父ちゃんが?今日はクソ忙しいんじゃねーの?
シカダイが両腕を畳につけて勢いよく起き上がると、簡素に化粧も済ませたテマリが後ろにまとめた髪に簪を刺しながら
「迎えにきてくれたんだよ」
とシカダイの疑問を片付けてくれる。床をドカドカと歩く音がして、シカマルが居間にひょっこりと顔を出すと
「あれ?母ちゃんはそれで行くのか?」
すぐにテマリの格好に違和感を抱いた。
「化粧品がつくにがイヤだったからね。今、着替えてくるよ。それよりも、聞いてた時間より早いじゃないか」
テマリは座卓の上に並べていた化粧品の類を、その真ん中にある鏡の周りに手早くひとまとまりにすると、立ち上がって台所の方へと消えていく。
「予定してた会談が早く終わってよォ。我愛羅が『どうせならシカダイを夜店に連れて行ってやったらどうか』って言うから、ナルトに追い出されたんだよ。ちょうど、ヒナタとボルト、ひまわりが来たとこだったし」
シカマルは濃いため息をつくと、着ていたジャケットを畳の上に乱雑にのせて座り込んだと同時に、テマリが氷の入った麦茶をシカマルの前に差し出した。シカマルは結露が浮かんでいるコップを掴み、一気に喉にゴクゴクと流し込むと、はーっと満足そうに息を吐いた。
テマリはそれを見てから、
「そうだったか。でも、向こうを出てくるときにメールの一通でもくれたらよかったのに。そしたら、湯ぐらい張っておいたよ」
まとめておいた化粧品類をポーチの中にしまいながら、シカマルに文句を言う。けれど、シカマルはそれを気にしないといった風に
「すまねぇ、急いで帰ってきたもんだから。でも、いーよ、シャワーだけで。甚兵衛どこ?」
テマリに甚兵衛の所在を尋ねると、
「いつものとこに置いてあるよ」
すぐに返す。タンッと良い音をさせながらシカマルはちゃぶ台の上にコップを置くと、
「じゃあ、オレ風呂入ってくるわ」
テマリに告げてからすぐに立ち上がり、廊下に出て行った。テマリは、持ってきた化粧品と一緒に、ジャケットを持つと二階へ上がっていってしまう。
居間に一人取り残されたシカダイは、腕を組んで仰向けに寝っ転がり、天井を眺めると
また渡せなかった。
自分の決心の遅さを呪った。そして、
今日中に渡さないとまずいよな……。やっぱり、今から母ちゃんに渡しに行くか?でも、母ちゃん着替えてるだろうしなぁ……。
と、どこでテマリにブーケを渡したものかと算段をしていると、水を浴びてきただけのシカマルが、バスタオルで髪の毛の水分を取りながら帰ってきた。まだ座卓の家に残されていたコップの中で、溶けかけている小さな氷を口に含むとガリガリと音を立てながら嚙み砕き、飲み込んでしまう。
「シカダイ、何か夜店で食いたいものあるか?かき氷とか」
それは父ちゃんが今、食いたいものじゃねーの?と言いたいのを我慢する。
「特にねぇ。ってか父ちゃん、麦茶入れに行けばいーじゃん」
「後でな。金魚すくいとかどうだ?」
「タモを持つのが、めんどくせー」
「お前……」
本当に、オレにそっくりだな。
シカマルが発しない言葉の続きが、シカダイにはわかる。シカダイは、はーっと天井に向かってため息をつくと、もうここから動くことすらめんどくせーと感じてきた。
今、1mmでも指を動かしたら負けだ。動いたら、その次のために動かさなきゃならなくなる。それもめんどくせー。
もう天井の木目をただ、ぼおっと眺めているだけでいい。そう思っていた。
そもそもシカダイは今日の祭を楽しみにしていたわけではないのだ。だから、シカマルに夜店のラインナップをあげられたところで、心に響くものはあまり、ない。
父子で無言のまま過ごしていると、
「待たせたか?」
テマリの声が飛び込んでくる。
「おせーよ。母ちゃん」
というために、シカダイが上半身を勢いよく起こして、出入り口の方を見ると、自分や父と同じ青味がかったくすんだ緑の浴衣に、同じ色だが輝く帯を締めたテマリがそこに立っていた。あまりに姿勢よく立っているから、本当に松の葉なのではないかと思うほどだ。
声を震わせられなかったのは、いつもは四つ縛りの髪を今日ばかりは綺麗にひとまとめに結んでいるからか、全く違う雰囲気を纏わせており、本当に母ちゃんと呼んでいる人なのだろうか、とシカダイは心配になったからだ。どういう反応をすれば良いのかわからない。
「全然、待ってねぇよ。な、シカダイ」
「あーうん」
シカマルの言葉にシカダイは、生返事をするとテマリは
「シカダイ、似合うか?」
シカダイに聞く。
そこは父ちゃんに聞いてくれよ、と思いつつもシカダイは
「悪くねーんじゃねぇの」
と答えるとテマリはプッと吹き出した。
「父ちゃんと同じことを言うんじゃないよ」
と。はっはっと前かがみになって笑う母から、父に目をうつすとまだ結んでいない髪の下に隠れている後ろ首を撫でながら、バツの悪そうな顔をしていた。
まだ髪を結んでいないシカマルを見て、テマリが
「私が結んでやろうか?」
とシカマルに言う。
「じゃあ、結んでくれるか?」
シカマルが腕に通していた髪ひもを渡そうとすると、テマリは
「まだ結んでないと思って、良いものを持ってきたんだ」
そう言って帯の中から一本の白い簪を取り出した。
「え?」
戸惑っているシカマルの顔を手で挟んで無理やり真っ直ぐに向かせると、テマリはまだ濡れているシカマルの髪を手にし、ねじったり簪に絡めたりをして、器用に首のすぐ上に団子を作りあげた。
シカダイはトレードマークのようになっている、シカマルの箒のような縛り髪が見えないのはどこかおかしさを感じたが、
「夏らしくていいじゃないか」
テマリは満足げに言う。それを聞いて、
「アンタも、簪が似合ってよかったよ」
シカマルは息を深くふーっと吐くと、静かに口元を緩ませた。