【母ちゃんの誕生日 2/7】早朝のミニブーケ

 「奈良シカダイと言えば、寝坊」と幼なじみのいのじんに言われるほど、シカダイは寝坊ばかりしている。

 アカデミーがあっても、通学路の途中で寝る場所に最適そうな場所を見つけるとそこで二度寝をし始めてしまったり、授業はちゃんと聞いていることはほとんどないほど、机に突っ伏したまま寝ている。一度、朝礼から終礼が終わるまで寝ていた時は、担任であるシノに

「父親そっくりだ。シカマルもそうやって、いつも寝ていた」

と呆れられてしまった。

 父ちゃんの遺伝だったら、もう尽くす手はねぇってことか。ってか、父ちゃんが卒業できたのなら、オレも卒業できるだろうし、もうこのまま寝ててもいいかなァ。

とシカダイはぼんやりとこのまま楽に卒業してやろうという野望を抱いていたが、シノは見た目通りにきっちりとした性格をしているらしく、母親であるテマリの元へ連絡を忘れなかった。そのせいで、件のシカマルを叱り続けた祖母ヨシノにも、笑顔の祖父の写真がある仏間で懇々切々と膝を突き合わせて怒られたのは、過去の記憶の中でも新しいことだった。

 そんなシカダイだが、八月二十三日ばかりはテマリよりも早起きだ。

 その理由なんて簡素なもので、ただただ「母ちゃんの誕生日を忘れるとばあちゃんがうるさいから」といったものだった。

「お母さんに『誕生日おめでとう』は言った?」

と毎年、朝食をとっている時に執拗に言われるのはめんどくせーの一言なのだ。けれど、めんどくせーからと言って『おめでとう』を言わないでいると余計にめんどくせーことになるのは、経験上わかっていたことだ。

 しかし、ヨシノの前でうっかり祝いの言葉を言うのもめんどくせーのだ。

「おめでとう」

とシカダイがテマリに伝えた瞬間、ヨシノがふふんと嬉しそうに笑う。それは別にいいのだが、その後に続く「シカマルなんてね……」と父が子どもだったころの話を長々と聞かされるのが、シカダイにはめんどくせーのだ。何度も何度も同じ話を短いスパンに間に聞かせられるのは非効率的だと思っているからだ。

 ヨシノは、シカダイが今住んでいる家からいくらか離れたシカマルの生家に一人で暮らしている。普段は「邪魔になるといけないから」と家にやってくることはないのだが、記念日や誕生日といった特別な日には「お祝いしたいから」とたびたび朝から顔をのぞかせる。義娘のテマリだけでなく、息子のシカマルや孫のシカダイの誕生日には欠かさずやってくるから、実は奈良一族には何かそういう掟があって、ばあちゃんの行動は決められているんじゃないか、とシカダイは考えたことがある。

 息子と孫の誕生日、つまり九月二十二日と二十三日は、連日ヨシノが家に押しかけてきて「シカマルなんてね……」と話を聞かされるか、「シカダイが小さい頃はね……」と全く興味のない自分の小さい頃の話を聞かされる可能性が一番高い日だ。

 せめて、その話を聞く確率を下げるためにはどうすればいいか?

 答えは単純明快、さっさと「おめでとう」を告げて、ヨシノに話をする機会を与えなければいいのだ。

 だから、今日もやってくるであろうヨシノに「もう言った」と言えるように、珍しく早起きをしてテマリに「おめでとう」を言わねばならない。せっかくの夏休みの朝なのだ。ゆっくり朝食をとった後に、満腹のまま二度寝を心ゆくまでたっぷりと楽しみたい。

 本当ならばシカマルが起きる少し前に起きて、寝ぼけたまま言えばいいだけの話だ。しかし、シカダイが今年はまだ、世界が薄い闇に包まれている時に起きなければならなかった。

 シカダイは、ジリリリリと枕元で叫ぶ目覚まし時計のてっぺんを思い切り叩いて黙らせると、よく冷房がきいた自室のベットの中で、タオルケットに包まれたまま寝返りをうった。冷えたシーツが肌に触れるのが、気持ち良い。

 めんどくせー。このまま起きたくねぇ。

 じんわりと体を支配している眠気は「このまま、もう一度寝ないか」と甘く誘ってくるから、まぶたをこのまま閉じて切ってしまいたくなる。いつもだったら、このまま抗うことなくすんなりとその甘い誘いにのるのだが、今日はそうもいかない。

 今日は母ちゃんの誕生日、今日は母ちゃんの誕生日、今日は……。

 そう自分に言い聞かせて、なんとか上半身を起こすと窓から入ってくる薄ぼんやりとしたオレンジ色を見つめた。やたらと早起きなセミはもう鳴いているが、まだ世界は起きていない時間だ。

 これから、計画通りに動かねばならない。ヨシノの長い昔話から逃げるために、いの一番にテマリに「おめでとう」を言うための。

 シカダイは、頬をつねって頭をなんとか起こす。痛みで起きるとは、到底思っていないが、今はどんな手段を使ってでも、起きなければならない。続けて頭をふってみたり、と体に適度な刺激をくわえていくと、なんとか使い物になったような気がした。

 気が変わってしまう前に、そろりとベットから出ると、前日に積んでおいた服を身に着けていき、寝巻きの甚兵衛から普段着の洋装に着替えると、廊下を挟んで向こう側の部屋でまだ寝ているであろう両親を起こさないように、階段をゆっくりと降りた。

 静まり返っている家の中をそろそろと動いて洗面所へと行くと、細心の注意を払って水道をあける。もしここで水道が暴発し、変な爆音をたててしまったら、テマリは起きて来るだろう。そうなると、シカダイの考えた完璧な作戦は失敗になってしまう。

 洗面所で立って歯磨きをしていられなくて、隣にある台所の食卓の椅子に座り、シャコシャコと歯ブラシを動かしていると、机の上に置いてある夜食用の菓子パンが目に入った。

 家を出た後に食べるために失敬しようかとも思ったが、おそらくシカダイが用事を済ませて帰って来たら、母が朝食を作っているはずだ。そして、用意される量を完食できなかったら、忍にとって体はいかに大切なのか、を朝からがっつりと説明されるのだろう。

 つまんねーことで怒られるのもめんどくせー。

 シカダイは菓子パンを見なかったことにすると、洗面所に口の中の泡を流しに戻る。

 細く、生ぬるい水流で、顔も洗ってすっきりしたところで、静かに、静かに、上階で寝ている両親に気づかれないようにシカダイは玄関まで移動すると

「いってきます」

 返事はこないと知りつつもテマリに強く躾けられた癖で、言葉をこぼすとまだシャッターが閉まっているであろう商店街へ向けて、まだ起きていない足を動かした。

 家からそれほど遠くない商店街の店先には、まだゴミ袋の山が積まれており、完全に街が起きていないことを教えてくれる。ところどころに昨晩の喧騒を少し匂わせながら、どの店も開店時間がくるのを待っているように思える。

 しかし、シカダイはそれらを一切気にせずに目的地に向かっていた。

 目的地である『やまなか花』と鮮やかな赤色で書かれたシャッター前でくると、ゆっくりとシャッターをあげる。いくら客だといっても、まだ寝ているであろういのやサイを起こすわけにもいかないのだ。

 自分の体がなんとか入るぐらいまでシャッターを上げると、今度はゆっくりと地面へ落とす。日の光が遮られて、視界が全く通らない店内をそろりそろりと慎重に歩いて、奥のレジカウンターまで来ると、いつもいのが座って仕事をしているスツールに、まだパジャマ姿のオレンジ頭が突っ伏して寝ていた。

 いのじん、ひょっとしてここで寝たのか?

 悪ぃと思いながら、シカダイはぐぅと眠り込んでしまっているいのじんの肩を揺らす。

「いのじん、いのじん。来たぜ」

 小声でシカダイが声をかけると、まだ半分夢のなかにいるようなぼんやりとした顔をしている、いのじんが「おはよう」とぼそぼそとあいさつをすり。目をこすりながた、まだ開ききっていない目でシカダイ本人かを雑に確認すると、スツールから降りると店先へと歩いて行く。

 シカダイは、ふらふらとした足取りのいのじんが無事にショーケースまで辿り着くのを見送った後、ポケットから紙幣と小銭を取り出すと、それらをいのじんが寝ていたカウンターの上に置いて、金額が合っているかを手探りで確認してから、その後を追う。

 いのじんは、傍で立っていてもわかるぐらい冷たいショーケースの中をまさぐっているところだった。先ほどシカダイがポケットから出した金額では一株も買えない花や、日持ちする花の間を、器用に腕を縫わせると、奥で何やらごそごそと動かし、ついに一つの小さなブーケを取り出した。

「これ。母さんが昨日、作ったやつ」

 みずみずしいグリーンを基調とし、ところどころの八重の白い花が散りばめられているシンプルなミニブーケだった。

「朝早く、ありがとうな。代金、レジんとこに置いといたから」

「うん……。あっ、待って。シカダイ」

 シカダイがブーケを受け取ろうと手を伸ばした瞬間、いのじんはブーケを頭上へと持ち上げた。冷気に当たったせいか、眠気は完全に吹き飛んだようで、はっきりとした口調で話し始める。

「母さんが、これだけは説明しとけって言ってたから。あのね。このブーケに入ってる、白色のニオイがきつい花はガーデニアって言うんだけど、花言葉は『とても幸せです』っていうんだ。だから、ちゃんと毎日ありがとうって気持ちこめて贈りなさい、だって」

 肉厚の白の花びらが重なっている特徴的な花を、指差していのじんは言うと、シカダイの伸びたままの手にそのブーケを渡す。

「テマリのおばちゃん、喜んでくれるといいね」

 にっこりと笑ういのじんは、先ほどの眠気は感じていない。

「……さんきゅ」

 シカダイはブーケを受け取ると、すぐにそばのシャッターをあげる。少しぐらい、くだらない話をしていってもよかったのだが、行きにたらたらと歩いてしまったせいで、予想よりも早く、家に戻らなければならない時間が近づいてきていた。

「やまなか花店をご贔屓に~」

 この店で定番になっているセリフをいのじんが言う。すっかり、慣れたものだ。

「おう。あ、いののおばちゃんにも、ありがとうって伝えといて」

「わかった」

 いのじんが短く返事する前に、急いでシカダイがシャッターをくぐる。音がならないように丁寧にシャッターをおろすと、すぐにガシャンといのじんが内側から鍵を締める。シャッターを少し上に上げてみたりして、きちんと鍵がかかっているのを確認すると、シカダイは家に向かって体をくるりと向けた。

 これでもう、後は渡すだけだな。

 安心したのだが、通りの向こうから店先のゴミを回収するためにゴミ収集車がきているのを見ると、シカダイは急いで駆け出す。

 時間がないのはもちろんのこと、せっかく作ってもらった匂いの良いブーケに、ゴミ収集車のニオイを少しも触れさせたくなかったからだ。

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