7月某日。
熱風吹き込む砂隠れの里に、木の葉からの招待状を届けたのは一羽の鷹だった。
その招待状を心待ちにしていたカンクロウは、風影邸の屋上でその鷹が視界に入ると、自分の腕を空中に差し出す。鷹が爪を出し、羽をバタバタと羽ばたかせながら着地するその瞬間を、弟と一緒にずっと待ちわびていたのだ。
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先日まで、二人はある悩み事を抱えていた。それは里の問題ではない、遠く離れる家族の問題だ。二人とも来月に誕生日を迎えるテマリに何を贈れば良いのか、さっぱり思いつかなかったのだ。
手紙やメールなどで小まめにやりとりはしていたから近況は知っていたし、カンクロウが木の葉に赴くことがあれば顔を見てテマリと話をしてきてくれていたから、欲しいものが何か全く知らないわけでもない。しかし、その欲しいものというのが問題だった。
二人には十分広すぎるダイニングテーブルを挟んで座る。切り出したのは、天板の上で両指を組み、滅多なことでは動かないはずの表情筋の、眉間の筋肉だけを動かしている、我愛羅だ。
「で、テマリの所望の品は?」
まるで任務の結果を報告するように向かい側に座っているカンクロウに尋ねる。カンクロウは、我愛羅のそういった物言いに慣れているから大して萎縮したりといった態度は見せずに、すんなりと
「タマゴ……だってさ」
ため息をつきながら、報告をする。そして、芳しい結果でないことを自覚しているのか、我愛羅から視線をはずして天板の上で指をトントンと鳴らす。
「何かの暗号か?」
卵、たまご、tamago……。
我愛羅の頭の中で瞬時に、カンクロウから聞いた単語を色々な文字に変換し、古くから伝わる、別の文字に置き換える方式の暗号や、三文字分だけ文字をシフトさせて答えを取り出す暗号、現代よく使われる公開鍵暗号方式などの可能性を模索する。
聞いて、即座に理解できないことは暗号なのではないかと疑ってしまうのは、諜報任務もこなさねばならない忍として長く生きてきた証拠だろう。
暗号にせねばならないほど重要なものなのだろうか。いや、カンクロウがテマリに「誕生日プレゼントは何が良いか」をメールで聞いてくれているはずだ。ひょっとしたら、外部に漏れることを恐れて隠したのか?
我愛羅が真剣な眼差しで、カンクロウを見つめる。しかし、カンクロウは我愛羅の熱い視線が、自分に注がれていることに気づくと、先ほどよりもさらに大きなため息をついた。
「いや、オレがメール送った日にちょうど近所のスーパーが特売日だったみたいで『お一人様一パックだからお前、今から砂から来い』つって。ニコちゃんマーク付きで送られてきたじゃん」
「それだけか?」
「あぁ。後は洗剤だとか、トイレットペーパーだとか……。日用品ばっかりだった。オレたちから贈らないといけねーほど欲しいもんなんて、特にねぇって」
「そうか」
単語に真意を知り、物欲がなさすぎる姉への贈り物を考えるのを一瞬やめたいのか我愛羅もふぅーと鼻から息を吐き出す。けれど、それは一瞬のことであり、息を吐き出した後はまた、難しい顔をしてカンクロウを見つめる。
男兄弟だけが残ってしまったばかりに、女兄弟が何を求めているのかわからない。「こんな時にテマリが居てくれれば」と二人は頭のどこかで必ず思うのだが、問題を引き起こしているのはそのテマリだ。
参考にするために、砂に居るテマリと同い年ぐらいの女性に聞くと「化粧品セット」「財布」「ポーチ」「バッグ」「洋服」などの贅沢品の品目を挙げる。しかし二人は、砂にいたころからテマリが普段身に付けるものに、それなりをこだわりをもっているのを十二分に知っていた。だから、それらを贈るという選択肢は最初から存在しない。しかも、砂よりも木の葉の方がそういった贅沢品の選択肢は広いことを知っていたから、こちらで下手なものを選ぶわけにもいかないと重々承知していた。
カンクロウが「ここは大人しく、懐かしがってるだろう砂の名産品でも贈るか?」と提案しようとした瞬間、我愛羅が
「砂でシカダイの胸像を作るべきか……?」
と表情筋を緩めてか、真顔で伝える。
おいおい。冗談だろ?そんなもの貰っても、ただ邪魔なだけじゃん。
そう思ったカンクロウは大笑いしながら
「我愛羅も、ジョークの一つも言えるようになったんじゃん?」
あんなに人間味がなかった弟がそんなものを嗜むようになったのかと成長を感じたが、
「そうか……ダメか……」
と返事をした我愛羅の声は暗い。
マジかよ。冗談じゃなくて、ガチだったのか?シカダイの砂の胸像が?そんなもん貰っても仕方ねぇだろ?
カンクロウはそう言いそうになったが、まだまだ、ジョークを嗜めない我愛羅がうつむき、頭を抱えるようにして組んだ指を額にあてているのを見ると、口をつぐむ。
我愛羅は、我愛羅なりに本気で考えているのだ。テマリが心の底から喜んでくれるであろうものを。それが、他人から見てもおかしいと思うものでも。
ならば、もう少しばかり一緒に頭を悩ませてやるのも、兄の努めだ。幸い、まだ時間に余裕はある。
砂の名産品を贈る、ではない、きちんと我愛羅の思惑に添えるような、提案をカンクロウはする。
「まぁ、あとはシカマルのやつに聞けばいーじゃん」
「シカマルに?」
顔を上げた我愛羅は意外そうな顔をする。もうすでに人生の半分ほどを風影という重役に捧げてきた我愛羅にとって、政治や外交のことは手慣れたものになっても、身内への贈り物や対処の仕方は学ぶ経験がなさすぎたせいか、今だに慣れないようだ。こればかりは本で読んで学んだところで、本の通りに通用することではないということをカンクロウは一応、知っていた。
「そうじゃん。テマリに近い奴に聞くのが一番だ。いのとかサクラも知ってるんじゃねーか?」
テマリの欲しいもの、とカンクロウが付け足すと、我愛羅は少し黙る。
この提案を思いついた時から来年はきっと、テマリの欲しいもの捜査網が広がるのだろうと予感はしている。
「わかった。申し訳ないがまた連絡、頼んでもいいか?」
「いーじゃん」
けれどそれがカンクロウ一人が手に負えないほど広がってしまう前に、我愛羅が個人でも動けるようにしなくてはならない。それは手始めに、我愛羅のプライベートで使う携帯のアドレス帳に、姉とその夫、兄とナルト以外の木の葉の忍たちのプライベートなアドレスをいれてしまうところから始まる。もちろん、あいつらに「我愛羅からクソ堅い文章が送られてくるかもしれないけど、それでもいいか?」と尋ねて、了承を得てから。気の良いやつらだから返事がわかっているからこそ、最初に言っておかねばならない。
今だに何かを思案しているのか、座り心地があまりいいとは言えないダイニングの椅子に座り続ける我愛羅を置いて、カンクロウは椅子から立ち上がると、苦労して選んだふかふかの椅子と一緒に置いてあるパソコンを目当てに、自室へと足を運んだ。
*****
カンクロウは、鷹が自らの爪を、服を貫通してぐっと自らの腕の肉に食い込ませてきているのを感じながら、鷹の足についている箱の中から木の葉のマークが印字されている封筒を外した。
そして、部下に鷹の後のことを頼むと、すぐさま風影の執務室へと足を急がせた。
きた、きた、きた、きた。
三十路はとっくに越えていて、いい大人になったはずなのだが、喜ばしいことは喜ぶべきだ、とカンクロウは考えていた。仏頂面が今だになおらない弟の分も、自分にわかりやすく含めなければならないからだ。しかし、周りの忍たちに今たてている計画がバレてしまうのは甥っ子の言葉を借りると「めんどくせー」のだ。風影の護衛は一人で十分だからだ。
我愛羅がいる執務室のドアの前で、すうと空気を吸い込んでゆっくりと吐くということを何回かくりかえすと、息を整える。そしてできるだけ、余裕をもってきましたといわんばかりの空気をまとうと、ドアノブに手をかけた。そのまま大はしゃぎで中に入っても良かったのだが、落ち着いたのはカンクロウのなんでもない、ただ一人の兄として、我愛羅には示しておきたい大人として、の威厳だ。
なにせ、この手紙を毎日「いつ来るのだろうか」と一番待っていたのは、弟である我愛羅なのだ。もちろん、カンクロウも楽しみにしていたが、我愛羅ほどではないと自分でも思っている。だから、ここで慌てているみっともない姿など見せるわけにはいかないのだ。
ドアを引くと、そこには我愛羅が涼し気な顔をして座って、黙々と目の前の書類に目を通しているところだった。本来ならば、入室する前にドアを叩き、中にいるであろう風影の許可が降りるまで開けてはならないのだが、無許可でそういったことはできるのは兄弟の特権だ。それは、効率を求めたがるテマリが砂にいた時に、最初にやり始めてから気づいたことなのだが。
「よぉ、手紙来たぜ?」
執務席にじっと座っている我愛羅に、手紙を渡すといつも通り我愛羅は表情筋少しも動かさない。カンクロウが突き出している封筒を静かに受け取ると
「例のやつ、か」
とだけつぶやく。
「あぁ、シカマルからだ」
封筒の裏に印字されている情報では、木の葉の祭に招待してくれたのは、七代目火影であるうずまきナルトということになっているが、真実はテマリの夫であり、義兄でもある奈良シカマルから届けられたといことは、すでに彼と打ち合わせ済みの二人には明白なことだった。
我愛羅と「シカマルに相談する」と決めたあの後、カンクロウはシカマルのプライベートな方のアドレスに『テマリが今欲しがっているものがわかるか?』とメールを送った。
カンクロウは、シカマルだって文字通り忙殺されているだろうだし、なんだかんだテマリの全てを把握しているわけではないと考えて、しばらく返信はこないだろうと思っていたのだが、カンクロウがついでの仕事を片付けるためにファイルを探して開けた瞬間に、予想外にもシカマルから返信がきた。
『あの人の誕生日にウチで祭があるから、お前らの顔を見せに来いよ』
とだけ書かれた簡素なメールが返ってきたのだ。
シカマルは、さも「簡単だろ?」とでも言いたげに書いてきたが、風影である我愛羅がそうそう里を空けるわけにもいかない、と彼自身の役職からわかっているはずだ。我愛羅とカンクロウは『遠くに住んでいるからといってテマリを忘れたわけではない』とただ、思っていることを伝えるために、せめて何か物品を送りたいと思っていただけなのだが……。
カンクロウが苦笑いをして、どこで『あの』シカマルが解釈をミスしたのかと思いながら、率直に返信をしようすると、シカマルから別のメールが飛んできた。
返信をする前に、新しく受信したメールを開くと、カンクロウはやっぱり、シカマルは『あの』シカマルなのだとすぐに理解した。
『ただ祭にくるだけだと我愛羅が嫌がるだろうから、会談も含めようぜ。
この前のメールで我愛羅がナルトと会談したいって言ってたろ?
それも含めて、木の葉に来たら良い
後で正式にこっちから招待状を送るから、それにのってきてくれ
んで、そっちはそっちで23日には木の葉にいられるように日程の調整してくれよな
会談の時間はまた後ほど正式にすり合わせしようぜ』
策士というか何というか。
カンクロウは、本日何度目かのため息をつくとすぐに、了承の旨を伝える返信をした。
それから、まだダイニングで、身内付き合いとは……なんて不毛なことに頭を悩ませているであろう我愛羅の元へと、急いで戻った。シカマルの、突然だがこれ以上ないほど素敵な申し出のために、風影の日程を空けなければならない。
案の定、ダイニングで今だに眉間に微かにシワを寄せてうんうんと唸っている(と見えるのは、カンクロウが我愛羅の微妙な表情を見分けられるようになったからであり、傍から見れば表情に変化はないように見える)我愛羅を見つけると、カンクロウはシカマルと同じく、突然、伝えることに決めた。
「我愛羅、シカマルが木の葉に来いってさ」
こういったことは、カンクロウが味わった驚嘆の再現も大事なのだ。
「?」
我愛羅はカンクロウと同じく、シカマルの言うことが理解ができていないのであろう、きょとん(としているようにカンクロウにはちゃんと見えている)顔をする。しかしシカマルと違うのは、このことを伝えているのが我愛羅という人物を熟知している、策略家の実の兄であることだ。わかりにくいのであれば、簡潔に言ってやればいいだけのことだ。この頭が硬い弟にもっとわかりやすく、そしてカンクロウと同じように驚かせる言葉を。
「シカダイとテマリに会うのはいつぶりだろうな」
カンクロウが朗らかに笑うと、我愛羅はやっと腑に落ちたような顔をして、そのあとすぐにわかりやすく目を見開いた。
我愛羅はカンクロウから受け取った便箋を開けることなく机の上に置くと、すぐに引き出しから返信用の巻物を取り出す。
準備のいいやつじゃん。
とカンクロウは思う。きっとそれは、シカマルの計画をきちんと伝えた時から用意していたものだろう。
砂の印字がされたその巻物を我愛羅はカンクロウに手渡すと「頼む」とだけ言う。
「わかったじゃん」
カンクロウは巻物を受け取ると、すぐにいま来た道を早足で戻り始めた。
浮足立ってるのだ、自分も、弟も。久々に遠くに住む家族に会えることに。